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【書評】D・モントゴメリー+A・ビクレー 著『土と内臓 微生物がつくる世界』

微生物共生圏で暮らす

評者 | 中尾直暉 (@_nko_nok)

見えない世界への恐怖 

 未知の感染症に対する過剰なまでの対策や、医療従事者や患者への差別を目の当たりにすると、目に見えない微細な世界への恐怖心を誰もが持っていることがわかる。事実、病原菌が発見された19世紀から、微生物を恐るべき病原菌としてとらえる細菌論が世に浸透し、近代化の過程で人類は生活領域から微生物との接点をとにかく減らしてきた。畑では農薬で土壌の病原体と共に有益微生物を一掃し、医療では抗生物質で病原体と共に腸内の微生物を殺すことが当たり前の処置として大衆に受け入れられ、農薬と抗生物質の市場が発達した。

 その後、レイチェル・カーソンが『沈黙の春』(1962)において、アメリカで使用されていた農薬・殺虫剤の真の危険性を告発して以来、多くの微生物学者は微生物の危険性だけでなく有用性にも注目するようになった。感染症の流行によって目に見えない世界への恐怖心が高まる今こそ、微生物と人間の関係性を正しくとらえる必要がある。

根と腸は似ている

 微生物は地球上に生命が誕生したときから存在し、長い時間をかけて生命との間に複雑なネットワークを作り上げてきた。微生物は土の中だけでなく、植物や人間の体内外、さらには建築までも覆いつくすように存在し、目に見えないシステムを構築している。近年のゲノム解析技術の発達によって、これまで謎だった微生物群のシステムが少しづつ明らかにされている。
 『土と内臓』(2016)は、地質学者のデイビット・モントゴメリーと植物学者のアン・ピクレーが共同で執筆した本である。この本の特徴は、ともに栄養を吸収するためにある植物の根人間の消化管が、微生物とのかかわり方において非常に似通っていることに注目している点である。

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D・モントゴメリー+A・ビクレー 著『土と内臓 微生物がつくる世界』
翻訳:片岡夏美 装丁:吉野愛 発行所:築地書館株式会社

 代表的な例で言えば、植物は根から栄養豊富な滲出液を染み出させ、根圏(根の周り)に有益微生物をおびき寄せる。滲出液には光合成で得た炭水化物、古い細胞、アミノ酸、ビタミン、フィトケミカルなどが含まれており、細菌や菌類にとっては栄養のフルコースである。微生物は根圏の栄養素を吸収しながら周辺の有機物を分解し、その代謝産物は植物の根から吸収される。植物は自分で作れない栄養素を微生物に作ってもらっているのである。また、根圏に住む細菌は、植物にとって有害な微生物が根圏に侵入しないように常に防衛している。

 植物と同じように、微生物との相互作用は人間の腸内でも行われている。腸壁を覆う粘液の中に住む発酵細菌は、人間が消化できない複合糖質を食べて繁栄し、その老廃物である短鎖脂肪酸で今度は人間が成長する。さらに、根圏における防衛反応と同じように、粘液層にすむ細菌は腸内の病原体が粘液層に定着しようとすると、科学的信号を出して大腸細胞に警報をならす。

 このように、植物の根圏と人間の腸内は、微生物と複雑な共生関係を結んでいる。有益な微生物が病原体よりも優勢な状態を常に保つことが、生命の維持のためには必要なのである。有益な微生物と病原体をどちらも殺してしまう農薬や抗生物質は、微生物との共生関係を破壊してしまう。さらには薬への耐性をもつ病原体が生き残って繁殖すれば、すぐに次の薬を開発しなければならないという鼬ごっこが永遠に続く。農薬や抗生物質は、短期的な効果はあれど長期的にはかえって逆効果であるということがわかるだろう。大事なのは、庭や身体の健康を保ちたければ、有益微生物を活性化させるための肥料を与えて共生関係を築くことである。

建築と土と人間と

 ここからは私たちの生活と微生物が実際にどのような共生関係をつくり得るかを考えてみたい。衣・食・住の中でも特に食と住に注目して、微生物との関係性をまとめたのが以下の図である。

建築微生物学 マッピング

図:微生物共生圏
筆者作成


 材料が土(Earth)から生まれて建築に使われ、再び土へと変える過程が建設(Building)であり、土から食料を栽培して人間が食べ、残余物・排泄物が土へと還る過程が料理(Cooking)であると定義
すれば、建設も料理も微生物のシステムに支えられた営みであることがわかる。ここで重要になるのが、本書で解説されているプロバイオティクス(probiotics)とプレバイオティクス(prebiotics)である。プロバイオティクスとは抗生物質(antibiotics)の反対の意味で、ヨーグルトや納豆などに含まれるような有益微生物を腸内に直接届けることである。一方プレバイオティスとは、腸内細菌の餌になる食品成分を摂取することである。微生物を直接送るか、すでにある微生物を育てるかという方法は、腸に対してはどちらも有効であるが、建築に対してはプロバイオティクスが注目されている。

 例えば土壁に住み着いている有益細菌は空気中の水分やほこりを餌にして繁殖し、腐敗菌が繁殖するのを防いでいる。土壁の性能をもっと高めるためには、酵母や乳酸菌を塗り込むという方法が有効である。土壁だけでなく、近年注目されている菌糸でできた建材も有益細菌を有しているだけでなく、菌そのものである。(Hi-Fi, The Living, 2014)

 また、オレゴン大学生物学・建築環境センターのディレクターであるジェシカ・グリーンは、オフィスや住宅などの室内にいる微生物を分析し、人間のマイクロバイオームを環境から変えようという実験を試みている。このような研究が盛んになっている背景には、遺伝子解析のコストが近年大幅に下がったことが挙げられる。
(このような研究を受けてか実際に「Better Air」という室内空間清浄システムは、森林の空気のように豊富な有益微生物群を室内に噴出し、病原体が繁殖しないように抑制することができる。これまでの除菌殺菌の方法とは違う、抑制という方法がこれから当たり前になるかもしれない。)

 このような、みえざる関係で建築と土と人間が微生物と共生関係にある領域を、微生物共生圏と呼ぶことができる。微生物共生圏においては、建築や人間は生物学的に周囲の影響を強く受けて常に変化し続ける、流動的な存在になるのである。


書誌

著者:デイビッド・モントゴメリー+アン・ビクレー
書名:土と内臓 微生物がつくる世界
訳者:片岡夏実
出版社:築地書館株式会社
出版年月:2016年11月

評者

中尾直暉 (@_nko_nok)
1997年 広島県広島市生まれ
1999年 長崎県佐世保市で育つ
2016年 早稲田大学創造理工学部建築学科 入学
2020年 早稲田大学創造理工学部・研究科 吉村靖孝研究室所属

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