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「私は在る(I AM)」を信頼し、全てを捧げる。

「私は在る(I AM)」

これだけです。

「私は在る(I AM)」として、ただ在る(AM)こと──

これだけです。

「私は在る」は、自分が病気であるとか、経済的な困難の中にいる、ということは関係なく、

幸福そのものです。

たとえ、一億円を手にしたとしても、容姿端麗のパートナーを得たとしても、

「私は在る」を失ってしまったら、また輪廻をさ迷うことになってしまいます。

幸福と不幸と言うのは、実は同じことなのです。

恐怖と欲望も同じです。

幸福になるために徳を積むこともできます。

悪いカルマがあれば、それは苦しみをもたらします。

ですが、それらは同じことです。

「私は在る」だけが真の解放です。

僕は今年から読者の方と対話してきました。

お金持ちのひともそうでないひともいました。健康なひとと、そうでないひとも。

正直に言って、僕はそのひとの人生の状況と言うものに、それほど関心があるわけではありません。

そのひとが、目覚めているかどうかに関心があります。

目覚めとは、身体と心との同一化を離れることです。

目覚めとは、ほんとうの自分は観照者(透明な気づき)だと知ることです。

ほんとうのあなたは人生の行為者でも経験者でもありません。

行為者であるあなたの身体には、様々な苦難が襲いかかります。

でも、あなたはその苦難に気づいている存在です。

「私は在る」の中にいる時、あなたは外側の状況と関係なく、至福のうちで安らいでいるのです。

もし、思考を使って、今いる状況の判断をしなかったら、あなたに問題があるでしょうか?

ただ静かにしている時に感じるハート───。

ただ満ち足りている感覚──。

在る─。

「私は在る」の中心点がハートです。

もし、「気づき」として存在することができれば、世界は映画のようにただ過ぎてゆくことが分かります。

あなたが「気づき」として存在している時、世界は幻想です。

ですが、あなたが身体と同一化して、世間で起こる出来事に一喜一憂していれば、世界は現実のものとして迫ってきます。

「私は在る」としてただ「在る」ひとにとって、カルマはもはや存在しません。

身体にとってカルマはあります。

でも、目覚めた人はカルマ的な問題を観照しているので、離れているのです。

この現象の世界でいかなる不安や恐怖に巻き込まれていたとしても、本当のあなたは影響を受けずにただ存在しています。

どんな幸福にも、不幸にもふれないでいること。ノータッチでいること。

そして「私は在る」の中にいること。

「私は在る」にとどまれない理由の一つは執着があるからです。

人生をコントロールしようとしている部分があるのです。

「〇〇の部分だけは明け渡して、〇〇の部分は自分の思い通りにしよう」というエゴがあるかぎり、

「私は在る」の中にいることができません。

「私は在る」とは完全な明け渡しです。

「私は在る」にすべてを捧げたひとは、その身体を「私は在る」が面倒を見るようになるのです。

でも、それは簡単ではありません。なぜなら、

全てのひとが必ずと言って良いほど、

明け渡したくない部分を抱えているからです。

ほんとうに人生の全てを「私は在る」にささげられるでしょうか?

それができれば、もう人生を心配しなくても良いのです。

「私は在る」のなかにとどまるためには、思考と欲望にふれないことです。

そして、不思議なことに、

「私は在る」のなかにとどまっていると、自然な流れで物事が起こるようになります。

外側に起こる出来事に関心を払わないでください。

安心して「私は在る」のなかにいてください。

「私は在る」を信頼してください。

「私は在る」を信頼するとは、何もしない、ということでありません。

たとえば、電車の席で隣合った学生が大学受験のための単語帳を手にしていたとします。

そのひとに「『私は在る』を信頼しなさい、だから勉強するのをやめていいよ」と言ったら、その学生は人生を棒に振るでしょう。

「私は在る」とは完全さであり、すべてをそう在るようにしている宇宙の完璧な流れです。

その流れを思考(マインド)を使ってせき止めない、ということです。

そして、もし、僕がその学生に言うべきことがあるとしたらこうです。

「一生懸命何でもやってごらん。そして、結果が気にしないように。すべては君にとってベストなことが起こるようになっているんだからね……」

あなたはこの肉体を去った後でさえ、「私は在る」なのです。

「あの世」や「天界」と言ったものは存在しません。これらは思考がつくりだしたイメージ、創作物です。

実際は、「私は在る」しかありません。

身体と同一化しないでください。

どんな境遇にいたとしても、その状況に入り込まないでください。

「私は在る」

ほんとうに「これ」しかありません。



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