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「めくら草紙 太宰治」【6/1執筆】

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「めくら草紙」は、「列車」と「玩具」同様、『晩年』所収の作品であり、特にこれら3作品は極めて太宰治自身の人生と切っても切り離せない性質の小説であるように思う。

本作の前半部分は、小説内に明記されているようにマツ子に代筆してもらっており、文学的な表現が多く、「枕草子」からの引用も見受けられる。

一方で、後半部分は、太宰治自身が筆を執っているとあり、太宰治の存在が色濃く、前後半で文体が大きく異なっているのが特徴である。

全体として、特にマツ子の存在感が強く、マツ子の為にある小説と言っても過言ではないだろう。

「マツ子のことについて、これ以上、書くのは、いやだ。書きたくないのだ。私はこの子をいのちかけて大切にして居る。」とあるように、主人公がマツ子のことを重く愛している描写が印象的である。

また、「なんにも書くな。なんにも読むな。なんにも思うな。ただ、生きて在れ!」という強烈なメッセージが、誰に向けて書かれたものか、解釈が割れるだろう。

太宰治自身に向けたものか、マツ子か、読者か。

「お隣りのマツ子は、この小説を読み、もはや私の家へ来ないだろう。私はマツ子に傷をつけたのだから。涙はそのゆえにもまた、こんなに、あとからあとから湧いて出るのか。」とあることから、私は太宰治からマツ子に向けた言葉であると解釈している。

太宰治は、彼女に筆を執らせ、彼女に伝えようとしたのかもしれない。

彼女を重く愛し、彼女に生きていてほしいと願う、太宰治の激情が伝わってくる。

今回は特に太宰治自身と小説を切り離すという元来の目的に沿うことができず、至極残念であるが、複数作品を読むと太宰治の色が濃い作品はやはり突出して精神的、文学的に不安定であることがうかがえる。


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