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建築は女の顔をしていない

カール・マルクスと本野精吾

美味しいワインを飲むと饒舌になり、我慢していた小用を足すと精神が安らぐように、ぼくたちの状態は流動的なプロセスの只中にある。毛皮を持たず、脚が遅く、強力な牙も爪も無い人間は肉体的に脆弱であるが、自然に働きかけて様々な物を造り出し、それらと力を合わせることによって、人間の状態は変化する。自転車に乗れば脚が早くなり、銃をポケットに忍ばせていれば攻撃力が増し、カシミアのニットを身につけると寒さに強くなり、ベッドに寝そべるとリラックスして体が休まる。このように、一つひとつの物が人間と協働することによって人間の状態は変化し、こうした変化を積み重ねることによって、ぼくたちの生存は築き上げられていく。

1927年7月に京都で設立された日本インターナショナル建築会は、桂離宮を絶賛した世界的な建築家ブルーノ・タウトを日本へ招聘したことでも知られている。会の設立メンバーであった本野精吾は、設立の際に発表された宣言について、次のような解説を書いている。

宣言1.人類の生存に基礎を置て建築の進路を根本的に解決せんとす

「人類の生存ー問題はここから出発する。人類生存の本体が何であるか。物質の集合であるか観念であるか 又ば神の意志であるか。これらを探求する事は吾等の目的ではない。吾等の前に人類の生存と云う厳然たる事実がある。本体が何であるかを究める前に事実は一つである事を認めねばならぬ。吾等は信念の基礎をここに置く。(中略)この信念の前には一切のイズムは消滅する鳥は巣を造る。彼等には科学哲学も宗教もないらしい。けれども生に即したる住居を持つ。吾等人類の巣が何であるかを求むるために吾等は全き努力を払わんとする。科学も哲学も宗教も一切はこれの目的のために何等かの役目を果すであらう。」本野精吾『日本インターナショナル建築会の宣言及綱領の解説』

鳥は自然に働きかけることによって巣を造るが、巣は鳥と協働することによって、鳥の状態を(繁殖ができるよう)豊かに変化させてくれる。同様に、人類の状態それ自体を豊かに変化させてくれるような巣を造ることを、建築家である本野精吾は自覚的に考えていたのだろう。カール・マルクスは「意識が生活を規定するのではなく、生活が意識を規定する。」と『ドイツ・イデオロギー』という本のなかで書いていたが、本野もまた、人が物をコントロールするのでなく、物こそが人を変化させ、人の生活を造り出し、さらには人の意識すらも規定する力を持つという思想を抱いていたのではないだろうか。ちなみに本野は、当時新しい社会を建設しようとしていたソ連の試みを紹介する『ソヴェートの友の会』の幹事でもあったことを書き記しておく。

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本野邸

本野精吾の設計した二つの建築を見る機会があった。本野精吾は、1910年代から20年代にかけて時代の先頭を走った前衛的な建築家として、歴史に位置づけられている。科学技術に基づく、機能性や合理性を追求した無装飾のデザインはモダニズム建築の表現であるが、1924年に竣工した本野の自邸において、コンクリートブロックを剥き出しで用いる表現が世界に先駆けて実現されたと評価されている。

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『本野邸』

本野邸は立命館大学に程近い、京都の郊外である衣笠に立地している。この住宅が建てられた頃、辺りは自然が豊かで日本画家が多く居住していたという。そうした自然に恵まれた周辺環境を眺めることができるよう、大きな窓が各所に開けられている。どっしりとしながらも温もりのある玄関ドアを抜けると、居間と食堂が一体となったL字型の部屋が迎えてくれる。天井が低く抑えられてあって、とても居心地が良い。だが、抽象性を志向するモダニズム建築ではあるまじきことであり「遅れたこと」と見なされる、具象的な葡萄の装飾があしらわれた暖炉が、部屋の中心に設けられているのには驚かされた。

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ル・コルビュジエが設計したサヴォア邸(1931年竣工)は、彼のプロパガンダである近代建築の五原則(ピロティ・屋上庭園・自由な平面・水平連続窓・自由な立面)を体現しており、建築からデザインのコンセプトを明解に読み取ることができ、純粋である。一方で本野邸は、前衛としての一貫性がデザインに感じられず不純であるが、プロパガンダとなりうる斬新なデザインコンセプトがない代わりに、建築の一つひとつの部分がディテールとテクスチャーを持ち、使用する人が愛着を持つことのできる固有性を宿している。一連の縦材が四方枠から上下に飛び出す形で溶接されている鉄柵、煉瓦で縁取りされた愛らしい形をしたモルタルの段差、玄関前の表情をつくってくれる煉瓦で被覆された柱、そして上へ登りたくなる気持ちにさせてくれる階段。仕立ての良い洋服を身に着けるとモチベーションが上がるように、建築の小さな一つひとつは住人と有機的に関わりあい、愛用されることで、その人の状態を豊かに変化させてくれる。

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鶴巻邸

鶴巻邸は本野邸の完成から5年後の1929年に竣工したもので、南側に眺望が開けた丘の中腹に位置している。本野邸と同じく、コンクリートブロックを剥き出しにした鉄筋コンクリート造で建てられており、南北方向に走る中心軸に玄関や階段室、サンルームを設け、南方向への眺望を楽しむことができるよう工夫されたプランとなっている。

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『鶴巻邸』

この建築もまた、斬新なデザインコンセプトは見当たらないが、建築を構成する一つひとつの部分に愛着が感じられるよう、本野は丹念に意匠を凝らしている。たとえば、玄関は半円形をしているため3方向からのアプローチが可能であり、おおらかな表情を見せている。玄関の円柱は打設したコンクリート表面を2、3mm削り取ることで、砂利・砂・セメントの混合体であるコンクリートの肌面を強調する仕上げにしており、その足元の床には相異なるテクスチャーを持った石が丁寧に嵌め込まれている。

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サンルームは2階の南面した場所に位置し、ちょうど玄関の真上に当たる。ガラス開口が半円形をしていることから、部屋に佇んでいると、庭の木々の間から差し込む陽の光に包まれている心地がする。

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暖炉や照明、家具の一つひとつや、施主が絵を描いたろうけつ染めの襖絵に至るまで、建築を構成する小さな物を、本野は入念にデザインをしている。おそらく本野にとって、愛着を感じさせるような物の表現こそが人間を触発する力を持つ、という認識があった。実際のところ、本野は生涯において10作品ほどしか建築をつくっておらず、それ以外の作品は船の内装デザイン、家具や舞台のデザイン、服飾や人形の制作など多岐に渡り、建築以外の余芸にうつつを抜かした中途半端な人と思われる向きもあるかもしれない。だが、仕事のジャンルの一貫性は存在しない一方で、「物こそが人を変化させ、人の生活を造り出す=建築する」という思想は、多岐に渡る建築以外の仕事のなかにも、一貫して埋め込まれているように思う。

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建築は女の顔をしていない

先日、妻から勧められて、旧ソ連の出身である作家、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの『戦争は女の顔をしていない』という本を読んた。第二次世界大戦のソヴィエトにおける対ドイツ戦において、百万人をこえる女性が従軍したが、アレクシエーヴィチはそうした多くの従軍女性から聞き取りを行い、それらの証言を一冊の本に纏めた。

アレクシエーヴィチによると、戦争についての全ての語りは「男の言葉」で語られているという。英雄的に他の者たちを殺して勝利した、あるいは負けた、退却した、進撃した、どこの戦線だったという「男の戦争」の話は抽象的で、人間の存在は歴史の影や事実の影に身を隠している。一方で「女たちの戦争」の話には色や匂い、光や音があり、気持ちが入っている。

戦友の女の子が戦死したとき、彼女の新しい下着が血に染まり、下着の白と深紅のコントラストが鮮明だったこと。戦争で一番恐ろしかったのは、がばがばで、つるつるした生地で縫ってある、男物のパンツをはかなければならなかったこと。戦争の間中いつも、「ドイツ人というドイツ人は片端から殺せ。」と書かれた記事と、父の戦死公報をバッグに持ち歩いて射撃していたこと。戦地で出会った夫と結婚するときに、一晩かかって包帯のガーゼで花嫁衣装を縫い上げたこと。そして、白い包帯のドレスと軍用長靴のいでたちで記念写真を撮ったこと。

このように、一つひとつの「ちっぽけな」証言にはディテールとテクスチャーが宿っており、どんな英雄的な「男の戦争」の話よりも読者の気持ちを揺さぶり、触発する力を帯びているが、彼女たちによる戦争の思い出が、物の存在と不可分に結びついているのは特筆すべきことだ。そうした話を多声的に織り上げて綴られた『戦争は女の顔をしていない』という本を読み進めていくうちに、戦争の本質は浮き彫りにされていく。

『戦争は女の顔をしていない』ように、建築史において語られる本野精吾の建築もまた、「女の顔をしていない」のではないか。本野精吾の建築には、一つひとつの「ちっぽけな」部分に物の豊かな表現があり、人間の気持ちを触発するディテールやテクスチャーが宿っている。住み手はこうした部分にこそ愛着を持ち、愛用し、やがては自分の一部であるかのように感じ出す。これらが多声的に織り上げられていくことによって、「人間を豊かに変化させる」建築の本質が姿を現わすのではないだろうか。

本野を説明する際、1910年代から20年代にかけて本野精吾は新しい時代を切り拓く前衛であったが、30年代になるとその先駆性は失われ、時代の先端から遅れを取った、という見方が取られる。そもそも、本野に対する最大の褒め言葉は「前衛=アヴァンギャルド」であり、それが「最前線で戦端を開く部隊」のことを指す軍隊用語であることは言うまでもない。こうした語り口は「男の戦争」の話のように抽象的で、人間の存在が不在であり、本野精吾の核心を取り逃がしているように思う。

主な参考文献:
岡崎乾二郎『抽象の力(近代芸術の解析)』(亜紀書房、2018年)、岡崎乾二郎・白井昱磨『白井晟一の原爆堂 四つの対話』( 晶文社、2018年)、『建築家本野精吾展ーモダンデザインの先駆者ー』(京都工芸繊維大学美術工芸資料館、2010年)、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』(岩波書店、2016年)

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