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目線を合わせる

こどもと関わる時、身長差から与える威圧感を解消するために目線を合わせようとよく言われる。

腰を折り、あるいはしゃがんで、時には片ひざを着いて。

目の高さを合わせる。場合によっては下から見上げるようにする。

小学生以下と関わる時には大切なポイントだ。

では、車いすの人にはどうか?

私の寄宿舎指導員としてのキャリアは肢体不自由校からスタートした。

そこでも、やはり目線を合わせることの大切さが説かれたし、実践を心がけた。

相手が小学生であればそれは自然な行動だった。
そして、中高生に対してもほとんど無意識に同じ対応をしていた。

しかし、ある時ふと違和感を抱く。

何のために屈んでるんだっけ?
何のためにひざを着いているんだっけ?

例えば、体格的に身長差がある同世代の大人と話す時、背の高い側がわざわざ屈んで目線を合わせることをするだろうか?背の低い側もそれを望むだろうか。

改めて、「目線を合わせる」という意味を考えると、ある答えに辿りついた。

身長のある大人が、身長が低い子のために屈んだりして合わせているのは、文字通りの目と目の高さを合わせているのではなく、高さを合わせることで立ち位置を合わせているのだ。

「年齢差も身長差もあるけど、私とあなたは対等である」ということの表明。

それが「目線を合わせる」のに真に求められていることだ。

翻って、大人同士なら?

大人同士であれば、年齢差があっても身長差があっても、立場の違いこそあれ、“人として”は対等であるはずだ。

にもかかわらず、わざわざ屈んで目の高さを合わせる行為は、逆に人としての対等性を否定する行為になるのではないか。

中高生と大人が対等かというと少し難しい。
指導員と生徒という関係ならなおさらだ。

それでも、“人として”の対等性はむしろ育むべき世代でもある。

その後、視覚障害の学校に移っても、その考えは大切に進んできたつもりである。

「目線を合わせる」ことは誰に対しても大切だが、それを行為としてどう表現するかも大切にしたい。

そして、誰に対しても自然と目線を合わせることができるよう、誰のことでも深く理解することを心がけていきたい。

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