わたしはあなたのようには、できない。
こんにちは。なおです。
13年間お店をやってきて培った「好きなことを仕事にする」ことを健やかに続けていくためのコツや考え方をお伝えするnoteです。
娘を学童にお迎えに行って、帰りに見た月があまりにも大きくて。
「月みて!おっきいよ!」
と私が言うと、
「おおきい〜!今日はお月見だって学校で言ってた」
と娘。
9月16日。
あ〜!!お月見の日を忘れていた…
確か去年は節分を忘れてて、
翌日保育園で
「鬼さん来たかな?」と先生に聞かれた娘が
「きてないよ」
って言ってて先生気まずそうだったなあ。
つねに私の頭の中は少し先の未来のことがいっぱい詰まってる。
来月販売するお菓子のこと、
新しい焼き菓子の材料の発注、
仕込みのスケジュール、
値上げの準備、
人数が減る来月のシフト。
もっと先の、未来のお店のこと。
そして、クリエイターの人はみんなそうだと思うけど
ふとしたアイディアを自分におろすための、余白の時間も欲しい。
私は娘に、罪悪感をたくさん感じてるんだなって
最近になって気づいた。
きっと私は死ぬ時、娘に対してたくさんの後悔をするんだって思ってる。
私の母は行事をしっかりとこなす人。
冬至にはお風呂にゆずが入っていたし、
お月見はおだんごが飾られ、
雛人形は手作りだった。
私が思春期のころに誰もやらない豆まきはひとりで執り行っていた。
おかげで私も日本の行事は好きで、「ちゃんと行事をやった子」というのは、無意識にわたしの誇りとなっている。
だけど今はどうだろう。
ここにいるのは、「あの時のようにできないお母さん」の姿。
自分ができていない、与えられないことへの罪悪感。
自分が誇りに感じているからこそ。の。
あの頃の私の母は専業主婦だし、立場も時代も違うのは、頭ではわかってる。
娘に責められたわけでも、泣かれたわけでもない。
きっと、私が娘に見ているのは、幼いころの私。
そうして欲しいでしょ?
これじゃお母さんとして不足しているでしょ?
あの時のお母さんと比べて、どう?
ねえ、なおちゃん。
ちょっと落ち込みながらお家へ帰って、
ふと、この川原卓巳さんのツイートが目に入った。
そうだ。
私だって、見たじゃない。
娘と「きれいだね」って、一緒に月を見上げた。
幼い私じゃなくて、正真正銘の、私の娘と。
この日の月はとっても大きくて、
雲にも隠れずまるまると輝いていた。
月の模様もくっきりと美しくて、
少し赤みがかかっていたように見えた。
お団子も、すすきも無かったけど
お月見したね。
娘は、覚えててくれるかなあ。
きっと娘と月を見上げることは、もう数えるほどなんだろう。
私が罪悪感を感じていようがいまいが、そのカウントダウンは始まっている。
わたしは母のようにはできない。
きっとこの先もたくさんの行事を忘れる。
だけど、お月見していたよ。
やれてること、ちゃんと数えていこう。
その後、娘と10回くらい「UNO」やりました。
辛かったあ。笑
追記:
十五夜、9月17日でした。
もう救いようが無いネ!!笑