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12月30日

今、川崎の銀柳街でこれを書いている。 

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昔から12月30日は休みでブラブラしている。

今日は走ろうと思ったけど雨っぽかったのでやめてしまった。結局、慣れない蒙古タンメン中本で五目蒙古タンメンとライスを食べた。後ろに並んでいる人の気配をしっかり感じて食べるタンメンは辛いとしか記憶にない。辛いものが食べたくて来たけど、この辛さは苦手かも知れないと気づく。

夜は妻と合流して焼肉で忘年会と毎年恒例になっているし、明日は諸々の買い出しに行く。正月三が日はテレビで駅伝観戦と親戚との新年会で終わる。だからこの30日は一年で1番大事な日、かも知れない。

今年を1人振り返ってみると毎年時間の過ぎゆく速さが増していることに気づく。そして、自然災害の被害はなかったものの、それに伴う仕事の量は莫大に増え、それに費やす手間が格段に増えている。自動化できているはずじゃないの?と言いたいことも増えているし、未だに人の伝達忘れなどが起きてそこから生じるロスが勿体無い。そこで淡々とやり過ごせなくて、一言二言、苦言を呈しても「どうせ、誰にも伝わらないのだろう」と苦言を言い終わる前に思ってしまう。今年はそんなことの繰り返しだった。それをある人は僕が「うろたえている」と言うし、ある人は黙って聞いているだけだった。 

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1年の振り返りを続けよう。趣味のマラソンはいくらかの結果を残せたように思える。2018年に続き、2度目になったさいたま国際マラソンでは想定通りのタイムでクリア出来たし、来年の現実的な課題が見つかった。久しぶりに走って楽しいと思えたし、なによりあの沿道の方達の応援が嬉しかった。知らない人だけど、コースの近所の人たちが道路規制されてるのにわざわざ出てきて、ほんとに老若男女ががんばれと言ってくれる。恥ずかしいかも知れないが僕は必ず手を振るか「ありがとうございます」と言って走った。沿道の声援の素晴らしさは勝田マラソンでも感じていたけど、特にさいたま国際は応援が切れなかった。また、発着がさいたまスーパーアリーナなので利便性が高い。これは東京マラソンよりも格段に上のように思う。 ある人は僕に言う、3時間も切れないのか、遅いねと。キプチョゲに言わせたら全人類遅いんだから…そういう遅い速いの論争をあまりしたくない。

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来年の抱負を…言うのは自由だ。はっきり言えばもっと動きたい。マラソンもそうだし、社会運動的にも、である。香港やチリのデモにしても、いつかの日本の姿ではないかと思うと他人事には思えない。いや、その時になった時僕らは立ち上がられるのだろうか、例えば妻に説明して、1人だけデモに行くと言って玄関に向かえるのか。その自信があまりない。自分は何もできないかも知れない。そして、「数は力」かも知れないが、自分はたったの1人としかカウントはされない、でも、その「1人」になることさえも放棄してないだろうか。それは常に考えていることだ。 

長々と書いたけど、来年はもっと書きたい。 

どこかで読んだ。

「書くか書かないか、その情熱がすべての始まりだった。」




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