お盆っぽく不思議な話をしよう
夏だしお盆なので怖い話というか、不思議な話をしようと思う。怖くはないか。重いかも。重いと思って書いてないんだけど表向き重いかも。
わたしは中学生のときから、神様はずっといないと思っていた。
ごくふつうの6人家族で育ったわたしは、小学生の時に父を亡くした。
思春期の多感な時期になりかけていたわたしにとって、父を亡くしたことによる精神的ショックよりも
「両親がいない家庭の子ども」という、自分が一般的と呼べる家庭ではなくなってしまったことに対するショックの方が、とてつもなく重大なできごとだったのを覚えている。
ろくに悲しむこともできずに、まわりの大人や世間の反応ばかり気にして、こんな場合はどうやって「平気」や「普通」を演じることが正解なのか、子どもながらにそればかり考えていた当時のわたしはたぶんあの時期壊れていたんだと思う。
それにトドメを刺したのは母親で、この人が本当にとんでもない人だった。父がいなくなって、まだ小学生だったわたしと妹を育てることを放棄して、自分の実家に逃げ帰ってしまったのだ。
しかも、父がわたしと妹にかけていた保険金や、投資が好きだった父の資産を根こそぎ持って。
この文章を書いている大人になった自分から見ても、母親はほんとけっこうヤバイ人だったと思う。
これからいちばんお金がかかるという時期に、母親は一銭たりともわたしと妹の養育費を払わなかった。それどころか子どものお金を持って逃げるような人だったので、現代に生きていたらたぶんTwitterあたりで袋叩きにされていたに違いない。それくらい親としての責任を何も果たさない人だった。
現代に生きていたら、と言ったのは、もう彼女はこの世に生きていないからだ。
当時はさんざんお金のことでは裁判沙汰になったり、法的なことで色々揉めたらしい。わたしと妹は子どもだったので、祖父と祖母が表に立って、いろいろなめんどうな厄介ごとを全部してくれた。
話し合いはこじれにこじれ、結局「未成年の資産は親のもの」という「親権の強さ」がカベになって、籍を抜くとか抜かないとか、そんな話にまで及んだのに、結局お金はわたしたちの手元に返ってこなかった。
祖父と祖母のおかげでわたしたちふたりは、わけのわからない大人の都合に巻き込まれずに済んだし、大人が複雑な話し合いをしている中、別の部屋の居間のテレビで名探偵コナンを見ていたことくらいしか記憶にない。
祖父と祖母がいてくれたことは、本当にわたしたちの人生にとってもっとも幸運なことだった。二人は徹底的にわたしたちを守ってくれて、少しもためらわずに、自分たちで孫二人を育てると言った。なにかをひとつでもかけちがえたら、孤児として別々の施設に行くことになったり、心無い誰かに引き取られたりして、まったく今とは違った人生を歩んでいたとしてもおかしくなかった。
ぬくぬく大人になるまで、むしろ世間知らずと言われるくらい、何不自由なく苦労もせずにこられたのも、祖父と祖母のおかげだった。
しかし当時多感な時期だったわたしは立て続けに感じたショックで、心に少なからず傷が残ってしまったのだろう。
中学生のころから社会人になるまで、「こんなひどい目に合わせるなんて、神様なんて絶対にいない」と思っていた。
神様が本当はいるのかいないのか、その答えが自分の中で出たのは数年後だった。
母親が交通事故で亡くなったのだ。
母親は実家に逃げ帰ったあとも、学校生活を送るわたしと妹に付きまとったり、お金を無心しに祖父や祖母のところへたずねてきたり、とにかくやることなすことムナクソなことを繰り返し、社会人になるまで数年にわたってわたしたちを苦しめた。
振り回されるたびに、「なんかもう、あの人が生きてる限りなにをがんばってもちゃんと生きても無駄なのかな」と思ってどうにもならない思いが押し寄せた。
母親が亡くなったのはそんな時だった。
母親の死因はただの交通事故ではなく、あろうことかわざと車にぶつかってお金をもらうという当たり屋をしていて、あやまって本当に轢かれてしまったのだと、緊急搬送先の病院の人から電話で聞いた。
最期の最期までそんなんなんだ、と思った。
母親を轢いてしまった人は表向き加害者だが、本当は被害者だった。
損害賠償の保険金が死ぬほど下りた。
そのとき下りたお金の総額が、母親が持ち逃げしたまま返ってこなかった、父やわたしや妹の資産全部と、ほとんど同額だったのである。
鳥肌がたった。
悪いことをすると、返ってくるんだ。
あの人はもう自分の命でつぐなうレベルにならないと、返せないから死んだんだ。
神様、いるんじゃん
ちゃんと善悪は、因果応報になっているんだ
誰かに答えを教わったわけではなかったけど、わたしは直感的にそう思ったし
そのとき、この世界の摂理みたいなものを、本能的に理解して
祖母に
「悪いことをしたら、かえってくるの?」
と聞いたら
祖母は「そうだよ、お天道様がみてるからね」と言った。
以上が、人生でいちばん最初に神様はいるんじゃないかと思った話
この世界はちゃんと生きてれば、損することはないかもな、と思った話だ。
今は祖父も祖母も亡くなってしまったけど、お盆に急に二人のことを思い出してこんな話を書きたくなったので、お墓参りのときはちゃんと手を合わせて感謝しようと思う。
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