「なぜダイエット依存になるほど自分の外見を裁いているのか気がつきました」
えっ久々のnote。2022年初のやつ。もう2月だし。
もっと気張らずに思ったことを書けばいいのに、思ったことはTwitterに書いてしまう。そして流れていく。Twitterはガンジス川のように全てを内包し、ありとあらゆるものを流していく。
台風の日に川の様子を見に行く人のごとく、つい気軽に見に行ってしまい帰ってこれなくなることもある。
私もすっかりそんな現代病の1人なので、これを見ているスマホ依存症の人がいたら、安心してほしい。
もう前々から私をご存知の方は耳タコですが、ダイエットを経て過食症になった経験から、食と体と心に関心があるんですよ。人体の不思議というか、仕組みを知ると、今まで「自分の努力や我慢が足らないせいだ」と思っていたものが、実はそうじゃなかったりするのが面白くて。
私は決して他人を変えたり助けたりすることは出来ないど、もし私の言葉や発見なんかがヒントになり誰かが良い方向に変わっていったりすると、そりゃ嬉しい。
私自身も、誰かに説得されて過食症を手放せたわけではなく、ヒントに気付いてハッとしたことから少しずつ苦しい自分ルールを手放せた人間なので。
こう言ったらわかりやすいかな?この角度から見てみたらどうかな?とか色々研究してます。
そんな思いのもと、SNSをやったりコラムを書いていると、
「苦しい痩せ思考から手放せました」「少しずつ自分の体を受け入れられるようになってきました」とご報告してくれる方もたくさんいて、「よかった〜」と思う一方で「頭ではわかるんですが、出来ないんです」という方も多くて。
その違いって一体何なんだろう?とずっと思っていて。もちろん、みんな人それぞれ今の状況も辿ってきた人生も違うので、私はSNSやコラムに全ての人に対応できる話を書けるわけではないから、当たり前なんだけれど。
◯◯でなければ、という思考を手放せた人は具体的にどんな風に私の言葉を解釈していくんだろう?というのを知りたくて、ちょっと詳しく聞いてみました。誰かの参考になれば嬉しいです。(掲載許可いただいてます)
ダイエット依存になり、過食と絶食を繰り返していたところから、『普通に食べる自分』を許せるようになった女性(Nさん)からのメッセージです。
・・・ということで、『くつろいでいる美しさ』って言葉、いいなぁ!!!そんな表現で言われたのは初めて。ありがとうございます。
そして実は完璧を求めていたのは自分自身ではなくて、
『自分の中のお母さんが完璧を求めていた』ことに気付いたっていうのがNさんにとってのターニングポイントだったみたい。
食べることや見た目に関する価値観や習慣って、必ずしも自分自身が決めてきたものではなく、小さい頃から誰かや何かに影響されながら出来てるんだけど、なかなかそれを客観視する機会って無いのよね。
人の心(感情)は体と繋がってて、思考(頭で考える)を得る前にあったシステムなので、頭ではなく感情が動く(ハッとしたりetc)と、自然と体もついてくるのかもしれません。
こうやってダイエット思考を手放せたエピソード持ってる方いたら、
ぜひ知りたいので(そして他の誰かの役に立つかもしれないので)
よかったら教えてくださいね。
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