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見えているのに感じないもの

私は特定の宗教や神様を信仰しているわけではないけど、仏教や聖書や神にまつわる様々なエピソードは聞いていて面白いなと思うことがある。 

たとえばこういう話。


男がおぼれていた。

幸いなことにボートがやってきた。

「大丈夫か?」と差し出された救いの手を、この男は断った。

「神さまが助けてくれる」

また、別のボートがやってきたが、
やはり、「神さまが助けてくれる」と男は断り、
そのままおぼれ死んでしまう。


天国に着くと男は神さまに抗議した。

「なぜ助けてくれなかったのですか」

神さまは腹を立てたそうだ。
「ばかもの! ボートを二度も遣わしたではないか」


----『神様』がいわゆる『神様の姿』をしていると思い込んで、頑なに待っていたことで、溺れ死んでしまったというお話なのですが、
こんな風に、自分にとっての「幸せ」や「叶えたい夢」や「価値」や「救いの手」などの本当の姿を、私たちは知らない場合がある。

実は自分が思っていたような形ではなく
もうすでに目の前にあるのに気づかないだけかもしれないし、
人と同じような形のものを躍起になって探していると、見つからないものでもあると思う。


もしずっと何かの悩みに取り組み続けて苦しい時は、一旦立ち止まり、
『自分の人生のテーマは何だろう?』
と考えてみると、「あれ?」と思うことがあるかもしれない。





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