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やりたいことをやる人生へ

まだ20代のころ、仕事仲間である友人に言われた。
「奈緒は、しっかりしてるように見えて、けっこう抜けてる人。Rちゃん(その場にいた先輩編集者)は、ユルそうに見えて、実はきっちりしてる人」。

うわ、まさに!と膝を打つような納得とともに、苦笑いするしかなかった。
両者を比較しながら分析したスタイリストの友人は、わたしのこともR先輩のことも編集者として信頼してくれているのはわかっていたし、冷静に見えて実際はそうでもないわたしを、妹をいじるノリで、そう表現しただけだ。皮肉や嫌味ではなく、そのまま素直に受け止めて、忘れてしまえばいい言葉のはずだった。

が、それ以降、仕事や人間関係で何かトラブルがあるたびに、不意にその指摘を思い出しては「わたしって本当にそう。損するタイプなのよ」とひそかにシュンとしていた。
たとえば、経費精算が嫌いで、仕事相手から書類の提出を急かされたり、エクセルの入力ミスの確認で経理部の方から連絡をもらったりするたびに、「そういうとこ、ちゃんとしてそうに見えるのにねぇ。意外だよねぇ」などと周囲から言われると、明らかにポイントダウンでしかない、自分の見た目と実像とのギャップに落ちこみもした。ま、ちっぽけな話だけれども。

会社員の適性


だいたい「しっかりしてそうに見えて実は抜けてる人」、「ユルそうに見えて実はきっちりしてる人」、仕事をする上でどちらが高ポイントかといったら、やっぱり後者ではないだろうか?

わたしは、顔立ちとか体格とか声とか話し方から、子どものころからしっかり者に見られがちだった。
そうした評価を受け続けるものだから、自分でもそこそこ真に受けていたのに、新卒の就職試験は惨敗。小さな編集プロダクションになんとか拾ってもらい、なのにそこは1年で辞めてしまって、中途採用でメジャーな出版社に就職した。結局そこも5年で辞めて、フリーになったのだけれど。
社会に出てからずっと編集の仕事をしてきた、といえばそのとおりだが、意外と前半は、目まぐるしかったのだ。

新卒時の就職活動で落ちたいくつかの出版社が、フリーランスになったわたしにはお仕事をどんどん発注してくれるという事実を前に、「つまりわたしという人間を発揮できる場所は、会社員という立場ではなく、フリーランスの立場なのか」と思ったりした。
基本的にマイペースであるのは自覚していて、会社員時代も、みんなが遅くまで残って働く空気の職場で、一人で朝早くから出勤し、夜はさっさと帰っていた。
フリーになることを本気で考えはじめたのも、この先もっと後輩が増えたり役職についたりした場合、自分の時間割で働けなくなることが耐えがたく感じたというのが大きい。どんな多忙や暇も一人で乗り越えなければならないフリーの孤独より、自分にはそちらの方が困難なことに思えた。

退社を決め、会社員としての出勤最終日、社長室に挨拶をしに行くと、「君は辞めると思っていたよ」と冷たく乾いた声で言われたのが忘れられない。
この社長には、そこからさかのぼること5年前、中途採用試験の最終面接で、「役員たちは君を推しているが、僕はどうも引っかかる」と面と向かって言われた、という伏線がある。
「あー、ここで落ちるのか」と、最終面接での不合格を受け止める覚悟を決めたとき、履歴書に目を落とした社長が、「ん? 君、テニスをやるのか? じゃあ、入社したらやるかね」と急にテンションが明るくなり、曖昧に受け応えをしていたら、合格した。
つまり、もともと社長の目には、わたしが社員として長く働くタイプには見えなかったのだろう。結局、わたしは5年間で一度も、休日に社長とテニスをやる会には参加しなかった。

そういえば、冒頭に書いた、友人のスタイリストがわたしと真逆の評価をしたR先輩は、ものすごくフリーランスっぽい自由奔放な見た目にもかかわらず、会社(わたしが勤めていた会社ではない)ではその後、着々と出世したらしい。編集者として有能なのはもちろん、やっぱりユルそうに見えても、組織という枠の中でちゃんと生きることができる人なのだと思う。友人の分析は当たっていたのだ。

矛盾を抱えないラクさ


それにひきかえ、の現在のわたしであるが、以前は悩んでいた見た目の印象と内面のギャップについて、いつのまにか、ほとんど悩むことも落ち込むこともなく平和に生きている。
年齢とともに細かいことが気にならなくなってきた、といえばそれだけかもしれないけれど、自分の暮らしについて書いたり、それを見て雑誌やウェブで取材をしていただいたり、ライターとしても少しずつ長い文章を書くようになってから、わたしという人物像に対して他人が抱くイメージと、実際のわたしという人物のギャップが、少しずつ縮まってきた気がする。
見た目と、やってることと、書いたり書いていただいたりすることにズレがないのは、本当に気がラクだ。のびのび生きられる。

トークイベントなどでお会いした読者の方から、「小川さんってもっとほんわかした感じの人だと思ってました」と言われたことは何度かあるけれど、そんなときでも「自分がわかってもらえていない」などと、はがゆくなったり、居心地の悪さを感じたりはしない。
わたしはわたしとして、さほど大きな矛盾は抱えずに世の中のすみっこに存在している、という実感がある。

それは、試行錯誤しながらも、それなりの時間をかけて、自分が好きなことや得意なことで仕事や作品づくりをがんばってきたからだと思う。
どんな仕事でも、まずは与えられたことをこなす、というところから誰もがスタートし、わたしが社会に出た20代も、ひたすらそればかりだった。
そのなかで、自分が得意なことや、やっていてワクワクすることを発見したり、逆に向いてないことがわかったりして、それを繰り返しながら、だんだんと自分らしさの核、自分がもっと力を発揮できる場所へと近づいていったのかもしれない。

「これは好き」「これは得意」「これは苦手」に向き合って、それを素直に周囲にも伝えていけば、いつのまにか、そうそう落ち込むことなく仕事ができるようになるのではないだろうか。
ただ、それだけですべて選別していると、可能性が狭まって、自分から見える風景も決まりきった退屈なものになってしまう。だから「自分らしい」「らしくない」という過度の思い込みも危険だな、とは思う。

もし迷ったら、「なんか、やってみたいかも」というワクワク感があるかないかで、決めればいいのかもしれない。
思えばわたしは、出版社に入って雑誌はつくってみたかったが、社長とテニスをやってみたいとは、1ミリも思っていなかった。
会社員を数年間でも経験することは、やってみたいというよりはやるべきだという子どものころからの刷り込みの方が強かった気がするが、フリーランスへの転向はまぎれもなく「やってみたいこと」だった。

やりたいことはやり、やってもやらなくても本質には関係ないことで、やりたくないならば、やらない。
結果的に、どちらの希望も叶えてくれた会社には、感謝しなくては、と思っている。

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