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わたしを満たすごはん

酸っぱいものばかり食べたがると妊娠が疑われるみたいに、玄米がやけにおいしいってことに、何かの兆候はあったりするのだろうか。

自分でも戸惑うくらいに、玄米ごはんがおいしくておいしくてたまらない。
「こんなにおいしいんだから、絶対に食べ飽きたくない」って思いながら、毎日食べている。そうやって1ヶ月になるけど、今のところまったく飽きていない。

グルテンフリー生活は4ヶ月を過ぎ、今は「家で小麦パンや麺を食べない」ということだけを心がけ、最初のころにくらべればずいぶんゆるい内容で続けている。
しかし、たったそれだけのことでも、守ろうとすると、食事は自然にごはんが主食の和食になるのだ。
子どものころからごはんよりパンが好きで、自分で料理をするようになってからも、ワインを飲むのが日常化していたこともあり、和よりは洋風の料理の方が多かった。

しかし、家でパンを食べない、お酒も週末だけ、という食生活になってみると、今さらながら、日本のごはんって最高&最強だな!とあらためて思う。
今の季節ならたとえば、きんぴらごぼう、ふろふき大根、里芋やかぼちゃの煮物など、自然に旬の野菜の簡単な惣菜になり、それをごはんと味噌汁といっしょにお盆にセットしたら、見た目はまるでクレヨンハウスのベジタリアンランチみたい(笑)!  地味な郊外暮らしでありながら、表参道でお昼ごはんを食べる意識の高い女子の気分である。

玄米は、食べてしばらくすると、お腹の内側から全身へと、じわじわと静かに着実に力が満ちていく感じがする。

それは、疲れたときに肉を食べてスタミナをつける!といったカンフル剤的なものや、風邪をひいたらしょうがとねぎ!みたいな薬の役割とも違くて、なんというか、今日から明日へ、そして来週のわたしへ、さらに来年のわたしへと細く長くつながっていくような、イメージとしては小さな暖炉に薪をくべつづけ、部屋をずっとほんのり温めておく……みたいな感覚。

基本的に、黒米や古代米などを混ぜて炊いた玄米と、味付け卵、味噌汁があれば芯から満たされるので、執筆で家にこもりきりの今、朝と昼はそのくり返し。それでも飽きないって、ほんとすごいことだ。

味付け卵が(わたし的に)完璧に、それも簡単に、失敗になくできるようになったことも、玄米生活を楽しくしている。

わたしのレシピは、
1. 鍋にお湯を沸騰させ、そこに卵6個をそっと投入し、タイマーを6分半にセット。
2. タイマーが鳴ったら、すぐに流水で冷やし、殻を剥く。
3. 先ほど卵をゆでた鍋に、水1カップ、醤油とみりんを約50ccずつくらい入れる(けっこうざっくりなので味見して確認、微調整)。
4. 鍋を火にかけ、煮立ったら、ゆで卵を入れておいた保存容器に熱いまま注ぎ入れる(卵が汁に浸りきらなければ、しばらくして卵をひっくり返し、全体に汁の味が回るようにする)
5.粗熱が取れたら冷蔵庫へ。

夜つくっておけば朝ごはんに、朝つくっておけば昼ごはんには、玄米ごはんの最強の友、おいしい味付け卵ができている。ちなみにこれで作ると、黄身は半熟と固茹での間の少し半熟より(わたし的ベスト)の仕上がり。夫も食べるので、これを2、3日に一度はつくっている。

先日も、日帰りで名古屋に出張があり、朝7時前には家を出て、8時過ぎの新幹線に乗る、という日があった。
昔は、そういう日は東京駅でお弁当やパン、コーヒーを買って新幹線に乗り込み、座席でいただくのが楽しみだった。
しかし数年前、義父母のことで夫の名古屋の実家へ行くことが毎週のようにあり、新幹線に乗ることが特別ではなくなってしまい、駅弁に対する楽しみやときめきも感じなくなってしまった。

なので先日の出張でも、朝6時過ぎに、温め直した玄米ごはんと味付け卵、味噌汁、ヨーグルトを食べ、水筒に温かいハーブティーを入れて出かけた。
何も買わず、ゆったりと新幹線に乗り込み、一人座席に身を沈めて、バッグから水筒を出してお茶を飲んでいたら、なんだか妙に幸せを感じている自分に気づいた。

これってなんだろう、と考えて、思ったのは、たぶん朝から自分が本当に食べたいものだけを食べて、飲んで、そうして口に入れたものによって体にはエネルギーが満ち、心まで満たされていることへの幸せ感かもしれない、ということだった。

食べ物で自分の心身を満たす方法を、わたしは1つ獲得したのだ。

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