見出し画像

Pinterestでおしゃれ計画

以前、おしゃれ本を読みあさりながら今後の自分のファッションについて思いをめぐらす話を書いたが、

本や雑誌を読むなどして刺激されて、何かほしいものが出てきたら、服でも靴でも家具でも雑貨でも、Pinterestを活用することが増えた。

この写真共有サービスの便利さを知ったのは、著書『直しながら住む家』にも詳しく綴っている、わが家のリノベーションの時だった。
当時DIYをサポートしてくれた工務店の設計士さんから、「自分の求めるイメージを明確にするのにも、それをこちらと共有するのにも、Pinterestが便利だからぜひ使いましょう」と提案されたのが、きっかけ。
実際、Pinterestを使ったことで、たとえば部屋の照明や洗面所のシンク選び、造り付けの棚のデザインなども、納得のいく完成形にたどり着けた。

Pinterestを使うと、自分のなかに漠然とある、「なんとなくこういう感じがいいんだよな」というモクモクとした雲のような像が、画像を掘り進めていくにつれて輪郭がだんだんと浮かび上がり、やがてくっきりとした姿となって現れる。その、うっすらと曇っていた視界が徐々にクリアになってくる感覚には、毎回感動してしまう。
そんな心強いツールだから、おしゃれプランを練るうえでも大いに役立つ。

願望のディテールを把握する

たとえば、最近なんとなく黒のジャケットが1枚欲しいような、そんな気がしている、とする。

最近は雑誌やコレクション情報をチェックしながらトレンドを細かく追うようなことはとんとしていないから、欲しいものがあるといっても、はじまりはこんなふうに、とてもぼんやりとした気分からのことが多い。
「あのブランドが発表していたみたいな、ああいう形と質感の……」といった、具体的なアイコンとなる一着が記憶されているところからのスタートではないのだ。あくまでも「なんとなくこういう感じ」でしかなく、願望の実態を自分でも把握できていない。

そんなときはPinterestで、「黒ジャケット レディース」とまずは検索欄に打ち込んでみる。すると、黒いジャケットを着た女性のコーディネート写真がずらずらずらっと出てくる。
その中から「あ、おしゃれ」とピンときた画像をクリック。すると、そのクリックした写真と似た写真がまたずらずらずらっ。
その中からまた「あ、これもおしゃれ」「この感じも素敵ね」と感じた一枚をクリック、クリック。同時に、「おしゃれ」のフォルダを作って、そこにクリックした画像をどんどん保存していく。

画像がたまったところで、自分が感覚的に選んだものを一覧してみると、ピンときたコーディネートは、なにも黒ジャケット着用に限ったわけではなく、ちょっとマニッシュなシルエットであることや、色は黒や白やグレーやベージュであること、パンツはカジュアルなものがいいけれど色落ちやクラッシュ加工のデニムではないこと、靴は黒い革靴か白いスニーカーで……といった「自分が望んでいるものの詳細」が見えてくる。

画像1

すると「どのブランドの黒ジャケットを買うか」というピンポイントの課題に向き合うだけでなく、ワードローブのカラーパレットだったり、アイテム同士の組み合わせ方だったり、アウターとボトムのバランスだったり、もう少し引いた目で、これからのおしゃれ計画を立てることができる。衝動買いや失敗を防ぐ意味でも、これがすごくありがたいのだ。

もし、ドンピシャで「これよ、これ! まさにこれが欲しい!」と思ったアイテムの写真があり、それがファッションブランドのルックブックの画像だったなら、そのままブランドサイトのオンラインショップまで進んでいって買い物もできてしまう。うーん、最短!

街歩きの楽しみは休止中だから

便利な時代だよなぁ……と感心する一方で、買い物スタイルの劇的な変化によって、いつのまにか失っているものもあるのだろう、とふと考える。

20年前は、「よし、春物の服を買う!」とだけ決めたら、休日の午前中にまずは渋谷に出て、開店直後のパルコや西武で好きなショップをひととおりチェックし、明治通りやキャットストリートを歩いて原宿へ移動。さらに青山へと歩きながらやはり気に入りのショップを見て回り、最後は代官山まで足を伸ばして、午後からひっそりオープンするヴィンテージショップまでのぞいてから、カフェに入って休憩しつつ、頭のなかを整理。カフェオレをすすりながら、「今見てきたなかに連れて帰るべき一着があっただろうか」と振り返り、浮かび上がってきたものがあれば、日も暮れかけた時間に、それを買うためにさっき後にしてきたお店にまた戻る、なんてことをしていた。インスタグラムもファストファッションブランドも、ネットで気軽に服を買う習慣もなかった時代(といっても、ほんの20年前だ)、一人暮らしと一人遊びを謳歌していたわたしの、大好きな休日の過ごし方はこんなふうだった。

そうやって時間も体力も使って服を選んで、じわじわと膨れていくクロゼットを管理することなんてもちろんできなくて、なのに「これで十分」とはまったく思えなくて。効率面だけ見たら、つくづく無駄だらけだった。
けれど、正解まで最短コースで行かないからこその、優雅な時間の使い方だったようにも思う。

「ただ街をブラブラ見てまわるのが楽しいってだけ」というあの感覚は、おそらくは子どもが生まれてから、いつのまにか自分のなかから蒸発してしまったのではないかと思うくらい、普段は出会うことができない。時折外へ出かけても、わたしはいつも帰る時間を気にしている。
でも、海外旅行のときは「ブラブラ歩き好き」がひょっこり顔をのぞかせることもあるから、たぶん「帰ったら家事をしなくては」という意識が頭にあるかないか、ということが大きいのだろう。

なるべく無駄を省いて時間を有効に使おうとする意識がどんどん強くなり、それは年齢や子育てによる忙しさのせいなのか、インターネットの便利さによるものなのか、その両方なのかもしれないけれど、不思議なのは、無駄を省いても省いても、気持ちがいつも忙しないという状態に変化はないということだ。これは何なのだろう。お母さん病?

いずれにせよ、今は、家事の心配ではなく感染への不安の面から、一日じゅう街を歩き回ってそれだけで楽しい、と無邪気に思えない。
この心のこわばりはいつになったらほどけるのだろうか。
それはもちろん、ワクチンが世界中に行き届いて、感染者数ゼロがスタンダードになるときだ。それまでは、いくら娘が小学校を卒業しようと、今日からお母さんはあっちこっち出歩いてきますね、とはいかない。

そんな状況下で、Pinterestでおしゃれな画像をどんどん掘るのは、「無駄のない買い物のため」だけじゃなくて、街やショップをめぐっておしゃれな人やモノとすれ違いながら胸をはずませていた、あの感覚をうっすらとでも味わえる気がするからなのかもしれない。

実際、やりだしたら、やめどきがわからないくらい楽しい。
これで時間にゆとりなんて生まれるはずがないし、いや、そもそもこれをやっている時間が、リラックスタイムそのものなんじゃないか。

結局、黒のジャケットは、目星はいくつかつけているものの、まだ買っていない。もしかしたら今年の春は買わないのかも、という気もどこかでしている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?