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ふたりのわたし。

「『裁判所は人生の縮図だ』という興味深いフレーズを友人のブログで見つけた。あなたにとって‘人生の縮図’を表すものは何?」と友人Nに質問してみたところ、彼はいたずらっ子のような目をして「セックス!」とのたもうた。

そして間もなく「・・・なんて言ってみたいところだけど、そこまで快楽ばかりじゃないしな」と目を伏せて笑った。

*

改めて聞くと、Nにとっての‘人生の縮図’は「(テニスの)シングルス」だと言う。彼曰く、ゲームの途中で肉体は相手に挑むも、精神は自分に挑んでいる。そして随時突きつけられる勝負の結果に一喜一憂しつつ、それをバネに次なるステップへと進んでいく。時にコーチの言葉に支えられながら。


ふぅむ、なるほど。


この質問の面白さは、‘縮図’を通してその人にとっての‘人生の醍醐味’が伺える点にあると思う。

例えば彼の場合、自分への挑戦・向上を人生の主軸としているようだ。同じテニスでも他の人に聞けば、パートナーとの信頼関係や相互協力に重きを置いて「ダブルス」と答えるかもしれないし、未知と可能性の宝庫という意味で「宇宙」と答える人もいるかもしれない。それこそ「裁判所」と表す人もいるわけで、つくづく愉快なテーマだなぁと思う。

ちなみに私にとっての‘縮図’は、「書く」という作業だ。何らかのインプット(知識だったり経験だったり)を基に内省し、そこから派生した思想や展望を言語化して書き残す。私なりのアウトプット。

取り込んで、吐き出して、取り込んで、吐き出して。

何かを書いている間は内容如何を問わず、その時々の自分と向き合うことが出来る。

私にとっての人生の醍醐味は、たぶん「本音の自分と建前の自分との二人三脚」で、書くことでふたりの自分を向き合わせようとしているのかもしれない。

ビル・エバンスが奏でるピアノの調べに耳を澄ませながら、こうして私はまた書くことでもうひとりの自分に近付こうとしている。


※このエッセイは2005年9月11日に当時23歳だった私が旧ブログに書き留めていたものです。

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