ヴィガーノ・アルタモーダ(Vigano' Alta Moda/Viganò Milano1919):イタリアンモードを支えた隠れた名店
ヴィガーノ・アルタモーダ(Vigano' Alta Moda/Viganò Milano1919)は、ドゥオーモの近くにあるビーズ・手芸用品専門店である。
ただの手芸屋さんではない、煌びやかなパーツを多数扱っており、ピアスやイヤリング、ネックレス、ヘッドアクセサリーのハンドメイドみならず、洋服のアレンジをしたい人が集まるお店でもある。
(パオロ・ダ・カンノビオ通りで今も営業を続けるお店の外観)
因みに別店舗として、こちらのパーツを使って作られた帽子や傘、手袋やバッグを扱っているブティックがゴンザーガ通りにあるとのことである。
その歴史はとても古く、創業はベルエポックの終わりかけの時代でもある1919年、徐々にパリ発の既製服が世の中に出回り始めていた時代であった。
このような時代であったがオートクチュールは依然として流行の発信源としての地位を保っており、イタリアでも刺繍師やテイラーが次々と自身の工房をオープンさせていった。
ヴィガーノの創業者であるカルロ・ヴィガーノ(Carlo Viganò)は、19世紀末にパリで学んでいた時に、 オートクチュール用の刺繍の素材専門の商人であるフリエ・フェレレ(Fried Frères)と出会う。
ミラノにこのようなお店がないことに気づいたカルロは、オートクチュールの素材を売る専門店をミラノのパオロ・ダ・カンノビオ通りにオープンさせることを決意した。
(お店のウィンドウに並べられたオリジナルアクセサリーたち)
こうしてミラノの古い建物が今でも残るドゥオーモの近くにオープンしたカルロの店は、舞台衣装を必要とするスカラ座の役者たちや、常にファッショナブルな洋服を求める社交界の女性たちによって、人気を博していくこととなった。
イタリアでもファシストの影響が強まってきていた1933年、ヴィガーノは、ガレリアにも店をオープンしたが、その10年後の1943年8月の空爆によって、店はガレリアとともに瓦礫と化した。
最初にオープンしたパオロ・ダ・カンノビオ通りのお店も同じくダメージを受けたが、ヴィガーニは営業を続けたのであった。
1950年代に入り、イタリアの経済が復興してくると、ヴィガーノも活気を取り戻すようになる。
特に経済的に余裕が出てきた家庭の娘たちが、放課後にヴィガーノのお店に集まり、自分自身のアクセサリーを作るようになるなど、新たな顧客も獲得していった。
またドゥオーモの方の店舗は、シックなデザインのパーツやカメオ、ムラーノガラス、刺繍入りのショールなどを扱っており、ミラノのマダムたちが上質な商品を求めて店に詰めかけた(このドゥオーモの店舗は2016年に閉店し、ゴンザーガ通りに移転したとのことであった)。
時代の変化とともに変わりゆくトレンドを素早くキャッチしたヴィガーノは、人々の嗜好を反映した商品を取り扱ってきた。
その中でも木の棚など創業当時の雰囲気をたたえたお店の内装は、どことなく気品を感じるものである。
新しいお客さんも歓迎しつつ、ミラノのファッション界を支えてきたことを自負し、伝統を大切にするヴィガーノ。
あの木の箱や棚から一体幾つのビーズや糸が人々の手に渡ったのであろうか。
そんな100年の時の流れに思いを馳せざるは得られないお店なのであった。
ヴィガーノ・アルタモーダ(Vigano' Alta Moda/Viganò Milano1919)
住所:Via Paolo da Cannobio, 39, 20122 Milano, Italy
営業時間:10:00-13:30/ 14:30-19:00(火曜から金曜)、10:00-13:30(土曜)、14:30-19:00(月曜)
ヴィガーノ・ミラノ1919 ブティック(VIGANO' MILANO 1919 - boutique)
住所:Via Maurizio Gonzaga, 5, 20123 Milano, Italy
営業時間:10:00-13:30/ 14:30-19:00(日曜月曜定休)
公式ホームページ:vigano1919.it
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