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ポルディ・ペッツォーリ美術館:ミラノの隠れた名所、貴族の館に集められた数々の美術品

0. ポルディ・ペッツォーリ美術館の歴史

ミラノの中心地にあるガレリアを抜け、スカラ広場からマンゾーニ通りを歩くことわずか2-3分。

そこには19世紀の貴族が集めた数々の貴重な美術品を鑑賞することができるポルディ・ペッツォーリ美術館(Museo Poldi Pezzoli)がある。

今回のnoteでは、この美術館の魅力について書いていく。

まず19世紀初頭にまで遡る美術館の歴史から説明するとしよう。


1-1. 美術館の創設者ジャン・ジャコモ・ポルディ・ペッツォーリの誕生

ミラノのジュゼッペ・ポルディ・ペッツォーリ(Giuseppe Poldi Pezzoli ;1768-1833)は、1818年、オーストリア政府の徴税人として仕えた一族の豊かな財産を受け継いだ。

その翌年の1819年、ジュゼッペは、ジャン・ジャコモ候の娘であるローザ・トリヴルツィオ(Rosa Trivulzio ;1800-1859)と結婚した。

このジャン・ジャコモ候は、貴重な書籍やアンティークのコレクターであり、この娘夫妻はその相続人となったわけである。 

その後、ジュゼッペとローザ夫妻の間にはジャン・ジャコモ・ポルディ・ペッツォーリ(Gian Giacomo Poldi Pezzoli;1822-)が生まれたが、この息子が11歳の時に父ジュゼッペは死去。

以降、母ローザが、自身の父の名と同じ名前である息子ジャン・ジャコモの教育を担うと共に、芸術家や文学者との親交を深めた。

1846年、24歳になっていたジャン・ジャコモは、一族の貴重な財産を受け継いだ。


1-2. 逃亡生活と最新のヨーロッパ美術を学ぶ旅

イタリア半島を愛していたジャン・ジャコモは、1848年、オーストリア帝国支配への反抗運動に参加した結果、逃亡を余儀なくされた。

彼は、ミラノからルガーノに逃げ落ちた後、フィレンツェ、スイス、フランス、イギリスを回り、この旅によって最新の芸術とその収集の傾向を学んだ。

この頃は、ロンドンやパリでは万国博覧会が開かれていたり、パリでは、クリュニー美術館(Musée Cluny)が開館したりするなど、近代ヨーロッパの経済や美術は、ますます繁栄していった時期であった。

逃亡生活を終え、1849年にミラノに戻ったジャン・ジャコモは、一族の美術館を作るという計画に取り掛かった。

1846年から50年の間、彼は、美術品を収集していた。

1850年以降、彼が購入した美術品をあげるならば、ルネサンス期のロンバルディア地方、ヴェネツィア、そしてトスカーナ地方の作品などなど。

ポルディ・ペッツォーリ家の友人でもあった画家ジュゼッペ・モルテーニを介して、彼は、ドイツのオットー・ミュントラー(Otto Mündler;1811-70)、イタリアのジョヴァンニ・モレッリ(Giovanni Morelli;1816-97)、ロンドンのナショナルギャラリーの館長であったチャールズ・イーストレイク(Charles Eastlake;1793-1865)といった美術界の著名な専門家たちと付き合った。

ジャン・ジャコモは、学者や収集家たちのために自宅を開き、そこでは活発に美術談義や議論が行われた。


1-3. 美術館創設の実現に向けて
また1846年、ジャン・ジャコモは、ポルディ・ペッツォーリ家の邸宅の改築に乗り出した。

彼は、ルイージ・サクロサーティ(Luigi Scrosati ;1815-1869)とジュゼッペ・ベルティーニ(Giuseppe Bertini;1825-1898)という二人の芸術家にこの家の装飾を委ねた。

 階段とベットルームは、ネオ・バロック様式に、また黒の部屋(the Black Room)は、初期ルネサンス様式に、さらにダンテの書斎は、14世紀風にというように、各部屋は、過去の美術・建築の歩みを感じることができる造りとなっている。

ところが1879年、ジャン・ジャコモは、美術館の完成を見ることなく、57歳で突然この世を去った。

すでに1861年の時点で残されていた遺言では、彼の邸宅や美術品をブレラ絵画館の規則に従って、公的なものとして開放するようにと記されていた。

その美術館の設立と運営は、友人のジュゼッペ・ベルティーニに託された。

こうして美術館は、ミラノ万博博覧会期間中の1881年4月25日に落成した。


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芸術を愛した一人の貴族の男によって生まれたポルディ・ペッツォーリ美術館。

本美術館は、1881年のミラノ万博の際にオープンしたとのことだが、実は、2015年のミラノ万博の際にも、プラダ財団美術館(Fondazione Prada)やアルマーニ/ シーロス(Armani/ Silos)など現代アートの美術館がオープンしている。

明治時代の日本でも、欧米に明治維新後の日本の発展を示すために、東京・上野で1877年、1881年、1890年と内国勧業博覧会が開催されているが、今、上野一帯が美術館・博物館・動物園となっているのは、博覧会の跡地として施設を残したからであった。

万博というイベントは、その開催都市が世界から注目される一大チャンスであり、ポルディ・ペッツォーリ美術館も万博以降、多くの人々に知られるスポットになったのであった。

序文が長くなったが、以下、各部屋の展示の説明を進めていく。

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(ポルディ・ペッツォーリ美術館の見取り図)


1. フレスコの部屋(Fresco Room)

一階のチケット売り場からすぐの場所にあるフレスコの部屋は、1950年、ミラノの建築家フェルディナンド・レッジョーリ(Ferdinando Reggiori; 1898-1976)によって設営された。

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この部屋に入るとまず目に飛び込んでくるのは、16世紀に制作されたかなり大きなタペストリー。

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(Tabriz, Northwest Persia, 1542-43, Wool, silk and cotton, 4100 knots per d㎡)

16世紀のペルシャ産というこのタペストリーの中央には、花や鳥、雲で作られた円形の模様が浮き彫りされており、その周りには狩りをする男たちと空想上の生物が描かれている。

この狩人と動物たちの美徳と悪徳をめぐる永遠の戦いは、エデンの園を象徴するモチーフでもある。




2. 武器庫(Armory)

同じく1階にある武器庫は、甲冑や武器が所狭しと並んでいる。

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この部屋は、1998年から2000年にかけて彫刻家のアルナルド・ポモドロ(Arnaldo Pomodoro ;1926-)によって制作された。

ミラノの街を歩いたことがある人なら見た頃があるかもしれないが、モンテナポレオーネ駅(Montenapoleone)とサンバビラ駅(San Babila)の中間地点にある奇妙な円形のオブジェ(Disco di Arnaldo Pomodoro)は、彼の作品である。

彼は、もともとこの美術館が所蔵していた武器のコレクションを効果的に使うことで、戦争、英雄、そして神話というテーマをもとにこの部屋を生み出したのであった。



3. アンティークな階段(Antique Staircase)

ネオ・バロック様式の緩やかな螺旋階段を上がると、2階の展示室にたどり着く。

その途中の壁にも、絵画が展示されている。

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また金魚が泳いでいたから思わずカメラを向けたが、わりと浅めな池なので、金魚たちが窮屈ではないあろうかと思った。

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4. ロンバルディアの部屋(Lombard Rooms)

ルネサンス期ロンバルディア派の画家たちの作品が並ぶこの部屋は、19世紀当初は、一つの部屋で構成されていた。

ところが1943年8月16日にミラノを襲った空爆により破壊されたこの部屋は、1960年になってようやく修復されることになった。

修復後、このスペースは、第1、第2、第3のロンバルディアの部屋というように、3つのパートに分けられたのであった。


この聖母子画は、スフォルツァ家の宮廷に仕えていたモレッティによるサインが入った唯一の作品である。

本作は、複数の衝立状の宗教画からなるポリプティックであり、もともとミラノのサン・ロレンツォ大聖堂などにバラバラに所蔵されていたものを、本美術館が少しずつそれぞれを入手し、今こうして一続きの作品として見ることができるのである。

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(Cristoforo Moretti(1451-1475, Triptych. The Virgin and Child enthroned with Saint Genesius and Saint Lawrence, c. 1460)



またこちらの聖母子画は、1490年、ルネサンス期の有名な教皇の一人シクストゥス4世の甥である枢機卿ジュリアーノ・デッラ・ローヴェレ(後の教皇ユリウス2世)のために制作されたものである。

おそらくポリプティックの中心となる絵とされる。

このジュリアーノこそが、その二年後の教皇選挙でボルジア家出身の枢機卿ロドリーゴ・ボルジアと争った枢機卿である。

教皇戦の結果、ボルジア家が勝利し、ロドリーゴは、教皇アレクサンデル6世として即位した一方で、ジュリアーノは、身を守るために一時的にローマを離れたのであった。

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(Ludovico Brea(1443-1520), The Virgin and Child enthroned with Musician Angels, 1510/1520)


同時代の画家であるアンドレア・ソラリオ(Andrea Solario;1460-1524)とレオナルド・ダ・ヴィンチの明暗法に影響を受けて制作された『聖カタリナの神秘の結婚』。画像37

(Bernardino Luini(1480/85-1532), The Mystical Marriage of Saint Catherine of Alexandria, c. 1520)

作者のベルナルディーノ・ルイーニは、室内装飾が見事なミラノの名所・サン・マウリツィオ教会を手掛けた画家でもある。


そしてこちらは、「授乳の聖母」を描いたもの。

このモチーフは、もっと古い時代から描かれているものであるが、この作品のマリアは、どことなくあどけなく、母子を見守る天使の表情も柔らかい。
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(Bernardino Lanino(c. 1515-1583), The Virgin nursing the Child with two angels, c. 1550)



5. 外国人画家の部屋(Foreigners Room)

こちらの部屋ではその部屋の名前の通り、イタリアの外の芸術家たちの作品が展示されている。

そのうちの一つに、ドイツ・ヴィッテンベルクに工房を構えたルネサンス期を代表する画家であるルーカス・クラナッハ(1472-1553)の作品がある。

クラナッハは、宗教改革の担い手であったマルティン・ルター(1483-1546)とも親交を持ち、彼の肖像画を数多く残しており、そのうちの一つをここで見ることができる。

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(Lucas Cranach il Vecchio(1472-1553), Portrait of Martin Lutero and Portrait of Katharina von Bora, c. 1529)


またこのルター夫妻の下には、洗礼者ヨハネと聖母子を描いたクラナッハの小さな作品がある。

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(Lucas Cranach il Vecchio(1472-1553), "Saint John the Baptist: The Immaculate Conception and the Child with two Angels"(1550/1552))

(ヨハネの足元には、”Fuit Homo Missus A Deo cui Nomen Erat Johannes”の文字がある)

ルネサンス期の絵画といえば、人間賛歌、ふくよかで生き生きした神や人間が、見事な構図でダイナミックに描かれていることが特徴であるが、クラナッハの絵はそれと対照をなすようである。

彼が描く女性は、病的で妖艶な表情や細く弱々しい肢体を持っている。

どことなく不健康で不安な印象を受ける絵であるが、見るものの心に強く残る作品が多い。



6. しっくいの部屋(Stucco Room)

このしっくいの部屋も1943年の空襲で一度破壊されている。

1870年代のものとされる小テーブルなどの一部の家具は、この部屋にありながらも、戦火を逃れ、今に伝わっている。

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7. 黄金の部屋(Golden Room)

2階の展示室の中で、おそらく最大の面積を誇る黄金の部屋には、ボッティチェリなど、数々の名作が展示されている。画像73

(戦前の黄金の部屋の様子)


こちらの部屋も1943年の空爆で破壊された後に修復され、現在の内装は、1993年から94年にかけて、カリプロ財団(Fondazione Cariplo)の協力を得て行われた。

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ポルディ・ペッツォーリ美術館は、現在進行形で、コレクションを拡充しているのが特徴の一つであるが、このアントネッロ・ダ・メッシーナの絵画も最近寄贈されたばかりのものである。

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(Antonello da Messina, Reading Virgin, c. 1460/ Donation Luciana Forti in memory of her father Mino 2018)

アントネッロ・ダ・メッシーナが描く『書籍のマリア』は、上半身だけ描かれたマリアが、鑑賞者の方を静かに見つめ返している。

マリアの頭上では、小さな天使たちが、百合の冠を彼女に被せようとしている。


(★パラッツォ ・レアーレで開催された『アントネッロ・ダ・メッシーナ展』についてはこちら:「アントネッロ・ダ・メッシーナ展(Antonella da Messina):ルネサンス期シチリアを代表する傑作「受胎告知のマリア」がミラノに」(2019年10月16日付note))



ヴィーナスと聞いて、多くの人がウフィッツィ美術館のボッティチェリの絵を思い浮かべるのではないであろうか。

こちらは、そんなボッティチェリのピエタである。

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(Sandro Botticelli(1445-1510), The Dead Christ Mourned, 1495/1500)


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このドラマティックな構図は、1490年代に現れたボッティチェリの作風の変化を表しているとされる。



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(Sandro Botticelli(1445-1510), "The Virgin and Child"(1480-81))

またこちらは、「書籍の聖母」(the Madonna of the book)という名で知られるボッティチェリの有名な絵画である。

窓の外には淡い色合いの風景画描かれており、室内では幼子を抱えたマリアが書籍に手をかけている。

ボッティチェリ特有の繊細で優美な線によって、節目がちのマリアは、穏やかで慈愛に満ちた女性として表現されている。



さらにこちらの絵は、この美術館のメインビジュアルやロゴになっている肖像画である。

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(Piero del Pollaiolo(1443-1496), Portrait of a Young Lady, 1470)

遠くを見つめるこの女性は、そのドレスや宝石から、かなり地位の高い家の出身あったことが分かる。

フランドルの画家に影響されたフィレンツェの画家ピエロ・デル・ポッライオロは、柔らかな光を見事に再現している。




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8. ヴィスコンティ・ヴェノスタの部屋(Visconti Venosta Room)

続いてヴィスコンティ・ヴェノスタの部屋には、15-16世紀の絵画が展示されている。

2020年7月現在に開催中の特別展の展示も映り込んでいるが、常設の展示品は、主に宗教画である。

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別アングルから。

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こちらはルネサンス期の画家ピントゥリッキオの聖母子画である。

現在はヴァチカン図書館の一部となっているボルジアの間を作成した画家である。

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(Bernardino di Betto detto il Pinturicchio and workshop(1454-1513), The Virgin and Child with Saint John the Baptist, 1490-1500)



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(Michelangelo Buonarroti(1475-1564), Cleopatra, 1550-1600)

そしてこちらは、ルネサンス期を代表する画家ミケランジェロの作品を模写したもの。

オリジナルはフィレンツェのカーザ・ブオナロッティ(Casa Buonarroti)に所蔵されており、ミケランジェロ自身が、ローマの貴族トマッソ・デ・カヴァリエリ(Tomasso de' Cavalieri)に贈ったものである。



9. 時計の部屋(Watch room/ Clock room)

時計の部屋には、精巧に作られている上に、保存状態が良好な様々な形の時計が並ぶ。

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美しい絵が施されたペンダント状の時計。

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(1. Pendant Watch, Le Noir, Paris, 1740-50;2. Pendant Watch, Pierre Le Roy, Paris, 1760-80;3. Pendant Watch, Julien Le Roy, Paris,1750;4. Pendant Watch, Claude Clauzier, Paris, c. 1750)



こちらの時計はかなりユニークなのだが、どれも5-10cmくらいの小さなものである。

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(6. Watch in a needle case, c. 1800, Geneva/ 8. Watch in a snuffbox, c. 1810, Geneva)




10. 考古学の部屋(Archaeology Room)

考古学の部屋には、紀元前にまで遡る様々な発掘品が展示されている。

今までの部屋では、主にルネサンス期の絵画が展示されていたのに対し、少し毛色が異なる部屋かもしれない。

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(左から、1. Apulian bovine headed Rhyton, Apulia, second half of the 4th century BC/ 2. Apulian dog headed Rhyton, Apulia, second half of the 4th century BC)

こちらは、リュトンという、酒を注ぎ分けるために古代ペルシアや古代ギリシアで使われていた道具である。


11. ポートレイト・ギャラリー(Portrait Gallery)

こちらのポートレイト・ギャラリーでは、その部屋の名前の通り、細長い部屋に肖像画が展示されていると同時に、18世紀のマイセンの陶器のコレクションも鑑賞することができる。

このマイセンのコレクションを生み出したのは、マリウッチャ・ソンチーニ・ゼリッリ・マリモ(Mariuccia Soncini Zerilli-Marimò;1926-2015)と彼女の最初の夫グイド・ゼリッリ・マリモ(Guido Zerilli-Marimò;1981年死去)、そして彼女の兄弟マッシモ・ソノチーニ(Massimo Sonocini)である。

彼女たちのマイセンは、いずれもカラフルでとても貴重なものばかりである。

マリウッチャとその娘は、自身のコレクションを寛大にも寄贈することにした際に、生まれ故郷であるミラノの美術館の中でも、このポルディ・ペッツォーリ美術館を選んだ。

こうしてしっくいの部屋とこのポートレイト・ギャラリーにマイセンの陶器が展示されることになったのである。

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いくつかマイセンの陶磁器がショーケースに並んでいる中で、興味深かったこちらの作品を紹介しよう。

それは、アジア、ヨーロッパ、アフリカ、そしてアメリカと、四つに分けられた世界を擬人化した女性の像である。
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(The four continents: Asia(1), Europe(2), Africa(3), America(4), Meissen, 1746-47, Polychrome porcelain, inv. 6094 a-d)



まずアフリカ。

肌の色が漆黒な上に、象の被り物、鳥の羽の腰巻、そしてライオンに乗っているというインパクトのある象である。

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次にアメリカ。

アメリカ独立戦争(1775-1783)より前に制作されたこちらの像を見ると、女性の肌はわずかに茶色く、鳥の羽の腰巻とマントを羽織るだけで、乳房は丸出しである。

極め付けにワニに乗っている女性のお腹をよく見ると、ぽっこりしており、これはコルセットをしないネイティヴ・アメリカンに対する西欧側のイメージなのかもしれない。

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そしてこちらはアジア。

アジアというとユーラシア大陸のどこまで含まれているのだろうと考えてしまうが、日本や中国というよりも、オスマン帝国やペルシアの方をイメージしてるのであろう。

ラクダに乗った女性は、豪華な服に香炉のようなものを持っている。

後ろのネギのような植物が少し気になる。

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最後にヨーロッパの女性。

これまで見てきた女性たちと対照的に18世紀において最先端のロココ式のドレスに乗り物は馬。

さらに女性の足元には地球儀のようなものが見え、「文明化された」ヨーロッパだけが世界を知っているとでも言いたげである。

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西洋史専攻の人ならびっくりしてしまうようなヨーロッパ中心史観に溢れた作品であるが、制作年代は18世紀半ばとのこと。

因みにこの頃のフランスを統治していたルイ15世(1710-1774)の寵姫ポンパドゥール夫人は、このマイセン焼きに惚れ込み、フランスにもこの技術を導入しようとしたことが知られている。



12. 黒の部屋(Black Room)

北方ルネサンスに着想を得たという「黒の部屋」(Sala Nera)は、前述の通り、ルイージ・サクロサーティによって1855年にデザインされた。

1880年から1855年にかけて、ジュゼッペ・スペルッツィ(Giuseppe Speluzzi)やルイージ・バルザーギ(Luigi Barzaghi)らによって作られた豪華な家具やドアは、1943年の爆撃の被害を逃れ、今も残されている。

その名の通り、証明や壁の色の関係かもしれないが、全体的に黒っぽく見える部屋である。

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別アングルから見渡した部屋。

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以下、黒の部屋に展示される宗教画をいくつか紹介。


音楽の守護聖人とされる聖セシリア。

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(Giovanni Battista Salvi detto il Sassoferrato(1609-1685), Saint Cecilia, 1635/50)



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(上からMaster of Saint John the Evangelist (?), Flanders 1490-1500, The Annunciation with Saints Lazarus and Anthony Abbot, Catherine of Alexandria and Clare, Anthony of Padua and John the Baptist, Francis and Jerome, 1490/ 1500; Cabinet, Rome mid 17th century, Ebony with semi precious stones, Additions by Giuseppe Speluzzi, 1859 and 1881)


この絵に描かれるのは、紀元前4世紀のカリアを支配したヘカトムノス朝のマウソロスの妻アルテミシアである。

当時カリアでは、支配者は、兄弟姉妹間で結婚するのが慣例とされており、マウソロスとアルテミシアは、実の兄妹であった。

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(Master of Griselda, working in Siena, 1490-1500, Artemisia, c. 1498)

紀元前353年、マウソロスが亡くなると、残されたアルテミシアは、夫のために墓を作り始めた(夫の生前から作り始められていたという説も)。

こうして造られたマウソロス霊廟(Tomb of Mausolus)は、そのあまりの美しさに、世界の七不思議として称賛されている。

絵の中のアルテミシアが持っている杯の中に入っているのは、夫マウソロスの遺灰を混ぜたワインである。

夫の死から2年後、このワインと飲み、悲しみに打ちひしがれながらアルテミシアは亡くなった。

そのためにアルテミシは、貞淑で献身的な妻の象徴となっているのである。




13. パルマの部屋(Palma room)

パルマの部屋には、比較的大きめのサイズの肖像画や人物画が並ぶ。

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髪をほどき、胸元をはだけたまま描かれるこちらの女性は、高級娼婦(cortigiana)である。

当時の高級娼婦は、政治、哲学、語学など教養を身に付け、貴族男性ばかりか、政府の要人まで顧客にしていた。

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(Jacopo Palma il Vecchio(1480-1528), Portrait of a Woman called The Courtesan, c. 1520)

出て行くお金も多かったと同時に稼ぐお金も膨大であった彼女たちは、多くの召使を従え、自身の館の女主人として振る舞った。

ただし、この絵に描かれる女性のように、高級娼婦として生計を立てることができたのはほんの一握りであり、家の支援を受けることができない彼女たちには、一歩道を間違えれば、抜け出すことができない貧困が待っていたのである。

(★この時代の高級娼婦について知りたい方はこちら→「娼婦をテーマにした映画・漫画・小説について語る」(2020年5月27日付note)




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(Sofonisba Annguissola(1531/32-1625), Self-Portrait, c. 1558)

ジョルジョ・ヴァザーリによれば、このポートレイトの作者であるソフォニアは、肖像画かとしてスペインの宮廷に使えていた人物であった。

この鮮やかな色使いの絵をよく見ると、彼女の衣装のレースや生地の質感など、細部まで書き込まれていることがわかる。

彼女のように黒のドレスの下から、白のレースの襟を覗かせるのは当時の最先端のファッションであった。

黒という色は、15世紀後半のブルゴーニュ公の宮廷で流行したとされるが、その後、その流行は、ヴェネツィアやスペインを中心に広まったのであった。




14. 宝石の部屋(Jewelry room)

宝石の部屋には、状態の良いジュエリーが並ぶ。

その展示数も膨大なため、とても一つ一つを写真に収めることができなかったが、中でもこれらの指輪たちは精巧な造りでどれも美しかった(写真だと見にくいのが難点)。

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(Anello, 1550-1725)



15. ダンテの書斎(Dante Study)

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このダンテの書斎は、美術館の創設者であるジャン・ジャコモ・ポルディ・ペッツォーリのプライベートな書斎であった。

この書斎は、1853年から56年にかけて、ジュゼッペ・ベルティーニとルイージ・サクロサーティによって、イタリア中世、特にダンテの時代にインスピレーションを得てデザインされた。

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またこの書斎は、2000年から2002年にかけて修復されている。画像106


この奥に見える棚には、ジャン・ジャコモのお気に入りの時計、宝石、グラスがディスプレイされている。

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16. 18世紀ヴェネツィアの部屋(Venetian 18th century Room)

残念ながらこの部屋のそれぞれの作品を撮影することは失念してしまったため、作品自体の解説はまたの機会に。

比較的コンパクトなサイズの部屋であり、さほど大きくない絵画たちが展示されていた。

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17. ペルジーノの部屋(Perugino Room)

この部屋には、題名の通り、ルネサンス期を代表する画家ペルジーノ(1450-1523)の作品が展示されている。

このペルジーノは、ローマのシスティーナ礼拝堂のフレスコ画を描いたのだが、教皇ユリウス2世が、ミケランジェロに新たなフレスコ画の作成を命じた時に、元あったペルジーノの作品は消されてしまったのであった。

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こちらの色彩が暗めの絵は、ルネサンス期を代表するフィレンツェ派の画家フィリッポ・リッピの作品である。

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(Filippo Lippi(1406-1469), Pietà, 1435/40)

フィレンツェのウフィッツィ美術館にも彼の作品がいくつか展示されており、その中でも聖母子画が有名である。

修道士でありながら、妻と子供を愛したフィリッポ・リッピであるが、彼の描く聖母子画は、自身の妻子をモデルにしたと言われている。

そのためか、彼の描く聖母子画は、とても人間らしく柔らかい表情をしているように思われる。

こちらのピエタは、フィリッポ・リッピの若い時の作品であり、キリストらの表情も硬いような印象を受ける。

この絵を見た上で、他のリッピの作品を見てみるのもまた面白いかもしれない。


またこちらの作品は、表と裏で、生と死を表している面白い絵である。

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(Andrea Previtali detto Cordeligachi(1470-1528), Portrait of a man(recto), Memento Mori(verso), c. 1502)。

「メメント・モリ」(死を忘れるな、死はいつもそばに)といった格言めいたタイトルのこの絵の表には若い男の顔、裏には骸骨が描かれている。

この時代の典型的なヴェネツィア風の格好をした若者とは、逆さまになる形で骸骨が描かれているのは、この絵にはもともとクルクル回る装置が付けられていたからである。

若々しさと健康を誇る若者も、常に死のそばにあり、私たちはそれを逃れることはできないと言うように、美の儚さを教訓的に伝える作品である。




部屋の名前になっているペルジーノの作品は、実は右手の小さな絵の方である。

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(右 Pietro Vannucci detto il Perugino(1448-1523), The Virgin and Child with Two Angels, 1495/1500)

15世紀後半から16世紀にかけて、主にペルージャで活躍したペルジーノは、ローマの貴族キージ家のお気に入りの画家であったとともに、教皇庁でも仕事をした画家であった。

同時代人のミケランジェロ、ダ・ヴィンチ、そしてラファエロがあまりにも有名なために、なかなか日本では知られることがないペルジーノであるが、彼が描く女性は、しなやかでほっそりした体の線がとても美しいのが特徴的である。

(★ペルジーノについてもっと知りたい方はこちら→「システィーナ礼拝堂の作者?ラファエロの師?:ルネサンス期イタリアを代表する画家ペルジーノ」(2020年5月10日付note)


またこのペルジーノの部屋の奥には14世紀の部屋(14th century Room)がある。

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残念ながらこの部屋に展示される作品を撮影するのを失念してしまったのだが、テラスから光が入るこの部屋は、19世紀半ばの建設当初の名残を所々に残しているのである。


18. トリヴルツィオの部屋(Trivulzio room)

こちらの部屋は、元々武器庫であった部屋である。

他の部屋と同じように1943年の空爆で破壊された後、武器庫は一階に移された。

こうして考えると、ポルディ・ペッツォーリ美術館の上層階(2階)の部屋の大半が空爆で破壊されている一方で、一階の方は無事であったようである。

戦後、トリヴルツィオの部屋は、パルマの部屋とともに、1968年から1976年にかけて、建築家のルイージ・カッチャ・ドミニオーニによって修復・改装された。

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またこの部屋には、ミラノの建築家ピエロ・ポルタルッピ(1888-1967)によって1920年以降コレクションされていた日時計が、展示されている。

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19. アートコレクターの部屋(Art Collector Room)

こちらは特別展の展示室となっており、特に常設の展示はなかったが、実はこの部屋は、2017年11月にこれからコレクションを拡充することを見越して新たに作られたものである。

現在進行形でコレクションが増え続けているのもこの美術館の特徴と先に書いたが、いつ新しい美術品が増えても良いようにと部屋の方を先に作っておくというわけである。

本美術館のあくなき探究心は、美術館や博物館は、過去を振り返るだけの場ではなく、常に変化し続け、新しい形で過去を未来に伝える場でもあることを思い起こさせてくれるのである。

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以上 、まだまだ紹介し切れていない作品はたくさんあるのだが、一旦ここで筆を置くこととする。

政府などの公の機関ではなく、個人の美術を愛する貴族の情熱によって生まれたポルディ・ペッツォーリ美術館は、作品を愛する人によって構成されていることが分かるこだわりが垣間見れる。

不幸にも第二次世界大戦中に、一部、施設は破壊されてしまったが、復旧作業により美しい姿を今に伝えている。

また戦後から今に至るまで、部屋の復旧や改築には、ミラノの建築家やアーティストなどが携わり、まさにミラノという街とともに生きる美術館であるとも言えよう。

比較的コンパクトな敷地内に、ボッティチェリ、アントネッロ・ダ・メッシーナ、ペルジーノ、クラナッハなどなど、ルネサンス期を代表する画家の作品がギュッと凝縮されているのもこの美術館の魅力の一つ。

大きな美術館ならば目的の作品にたどり着く前にお腹一杯というか、足が棒になってしまうと思うが、こちらの美術館では、ルネサンス美術のオールスターたちを一気に鑑賞できるのである。


ポルディ・ペッツォーリ美術館(Museo Poldi Pezzoli)

住所:Via Manzoni 12, 20121, Milano, Italy

公式ホームページ:museopoldipezzoli.it(英語ページあり)

開館時間:10:00-13:00/ 14:00-18:00(火曜休館)

写真・文責:増永菜生(@nao_masunaga



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