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入院②全身麻酔手術を終えて

◆ 情報最終更新日┊2024.0921


infinity artist NAOです。
この記事では2024年9月10日、タイ・チェンマイで帰国前前日、交通事故にあった出来事を綴っています。


昨日は手術とブロック注射を左側にしているので、更新できませんでした。9月21日、今日やっと左手も痺れてますが、まぁ動くのでスマホ入力していきます。



入院の天井を見上げる・・・


全身麻酔の手術を終えて 


無事、人生初めての恐怖の全身麻酔手術を9月20日に終えました。

病気や怪我に無縁だった34年間の私の人生と身体。
初めてメスが入りました。

何もかもが初めてで非日常でした。
手術室に入ると見慣れない光景を目にして
「うわー…ここでするのか、、、」という気持ちになりました。

胸の中から全身の先まで恐怖でいっぱいの気持ち。


よくドラマとかで見ていた本物の舞台・・・


『こわいよね。』
ベッドに移ってから手術の準備をしていただいているとき、初めて目の当たりにする手術室の光景と、室温の冷たさ・寒さ、これから手術するというシーンに、全身が恐怖でいっぱいになり、、。
自然に涙がポロポロ出て来てしまいました。

「こ、、こわすぎる、、、。」
「これから左肩を切られて中身をどうのこうの・・・」
「アーモウダメダ。。。」

想像しただけで胸が締め付けられる思い・・・。
そう、私はアーティストであり、言葉ですぐに想像がついてしまうイメージの人間だから、なおさら。

たいていの看護師さんは良い意味で気が強いというか、チャキチャキされているのですが、手術室の看護師さんはホッとするような優しさで、私の心の唯一の救いでした。

ウチの母親も看護師でしたが、母がなぜいつもあんなにも強気で、家族関係が辛くて仕方なかったのをよく理解しました。


人の命を預かる仕事とは

いかにミスができず許されず、ヘラヘラなんてできず、常に神経張り詰めて、ストレスの多い職場環境であろうことか。

私は絵を描くことが生業なので、いかにリラックスして自然に瞑想状態に入り、宇宙的な意識と繋がり、そのイメージを描いていくか、完成させていくか。

取り組む姿勢、意識が全然違うのです。

職場で抱えてしまうストレスのはけ口が、悲しいことに家庭内へと向かってしまっていたのは、今回入院してみてよく理解しました。

そしてその毒のシャワー、言葉の虐待、ダメージを幼少期から家を飛び出すように独立するまで、ずっと浴びせられていたのです。大学4年間は実家から離れていましたが。

今回、本当の意味で当時の母親の気持ちや、辛さを理解できた機会にもつながったと思います。

また、母親を常に “ 毒親 ”である と、20数年の間、意味付けしてしまっていたことを申し訳なかったとさえも感じます。とはいえ、まだまだ私の心(潜在意識)、心底100%はそう簡単に全てを許せてはいないのだろうなと思います。


許した、の本当の意味

ちなみに、私の記事を見てくださっているあなたは「許した」の本当の意味を理解していますか?ほとんどの人が理解していないと思います。

時間が経って「あのことは、もう忘れたよ」だから許してる。というのは、本当に許していません。それは私たちの無意識に溜まっています。

本当に許した、というのは、またそれが繰り返された時すんなりと「いいよ」と言えるだろうか?ということです。過去、嫌だった出来事が同じように繰り返された時「受け入れます」「いいですよ」とはっきりいえますか?言えないのなら、残念ながらそれは「許した」に入りません。許していないのです。心の奥底に溜まっているのです。

だから潜在意識は変わらず、現実も変わらないんです。私の記事を読んでいただいたことを機に、許すの本当の意味を深く考えてみていただきたいです。


“ 毒親 ” になりたい親なんていない

わかりやすいので、 “ 毒親 ” という言葉が使われたり、引用される昨今です。私も皆さんに伝えやすいので “ 毒親 ” というワードを出させていただきます。

ですが、本当の意味で、自ら “ 毒親 ” になりたい親なんて、いるのでしょうか?私は、いないと思います。なりたくてなっているわけでは、ないと思います。

ほとんどの人が世代により無意識に “ 毒親 ” の思考が受け継がれてしまっているのではないでしょうか。人間は、どんな意識や考え方をその人に入れるか、染み込ませるかで変わってしまうものだからです。そして完璧な人など誰一人いません。もちろん、それはこれを書いている私もです。


看護師さんのすごさを理解する

家族でもない、むしろ「誰だよお前」というレベルの老若男女、血縁関係もない、赤の他人をキチンと “ 患者さん ” として扱い、排泄のお手伝いや坐薬の投入、採血、脈拍確認、定期的な時間訪問、食事提供、着替え、各部屋ごとのナースコールでの呼び出し…

自分の母親がこんなに大変であろうことを何十年と続けていたことを想像すると、本当に凄いなと、心から尊敬の気持ちが沸きます。

ドラマや映画なんていうのは、完全なるファンタジーです。綺麗なところを切り取っただけの世界で、現場は重労働、汚物は汚いし、人を看るということは、あまりにも大変なことです。

人間はワガママな生き物だし、入院中なんて患者たちはただでさえ “ この状況 ” に病んでたり敏感になってる人たちばかり。看護師さんたちは患者の態度にはムカつくこと多々だろうな、と推測します。

そして看護師さんだけでなく、執刀してくれた医師の方々、医療従事者すべての方に尊敬と感心、感謝の深い気持ちを感じました。手術後のドクターは汗だくだったそうです。パートナーである旦那さんから聞きました。手術ってそんなに汗かくようなことなのかと、初めて知りました。


医療従事者のみなさんは素晴らしい


お給料があるとはいえ、お給料だけのためにここまでできるでしょうか?
みなさん素晴らしすぎます。カッコ良すぎます。
人のためにどれだけ日々尽くしているのか。
今世の私には到底できないことばかりです。

もし私が来世、天才で勉強ができるのならお医者さんがいいなぁ、人を自分が救えるなんて、カッコ良すぎるなと、憧れます。本当に。



恐怖の全身麻酔


話を手術のことに戻します。

全身麻酔は、たしかに眠ってしまうというか、それよりも気を失いに近いような…どこかに行ったあと、またこの現実に戻ってくるような不思議な感覚でした。

麻酔を少しずつ吸い込む時、ニオイが臭すぎてしんどかったです。なんていったらいいのか、表現が見当たらないニオイなんです。人生初めてかいだニオイでした。「 なんだコレは・・・!危険そうなヤバいニオイだ!」って感じ。

そして、気づいたら意識が遠のいていました。

そしてまた気づくと手術室の天井がわかり、喉に管を通していたので、呼吸ができず思わずパニックになりました。すぐに管を外してくれましたが、、、。少しでも呼吸ができないと、あんなに苦しいものなんだなと、理解しました。息がいつも絶えなく据えていることさえにも感謝の気持ちが湧いてきました。

ちなみに旦那さんは手術前にこんなアホなことを言い出しました。「僕だったら寝ない!意気込んでみる!」と。どこまで自分の寝ない気合いが試せるか?というのです。そのくだらなくて面白い発想に思わず笑ってしまいました。

私自身そのことが気になって看護師さんに聞いてみると、「そういう人は白目剥いたままだったり、変な顔で麻酔かかっちゃうんですよ」と教えてくれました。やはり流れに抵抗しないとヘンなことになるんだなぁと感心しました。


抵抗すること=無駄


それはこの話だけでなく、人生全般に共通することだと思いませんか?

流れているものに、抗えない。抗わない。

例えば、流れるプールを逆流することはものすごく体力を使いますよね。抗うことがいかに無駄なことか。よくわかりました。宇宙の法則も同じことがいえますよね。抵抗の感覚感情、意識を手放すことで、本当の人生の流れに乗ることができると。


手術は凄腕ドクターにより成功

タイのバンコクホスピタルチェンマイでの診察と、日本の診察では結果が異なりました。私の肩の損傷部分は肩鎖関節脱臼でしたが、タイでは肩鎖関節脱臼type3と診断され、日本では肩鎖関節脱臼type5と診断を受けました。

ちょっと似ているので分かりづらかったのかもしれません…。

「肩鎖関節脱臼type3です」といわれ、そのときはまだホッとしていたのですが、実際のところ 肩鎖関節脱臼type5 でしたので、ガッカリしてしまいました。

でも、日本での手術を終えて、リハビリに励むことで元の日常に戻れるとのことで、本当に安心というか、良かったと思いました。

まだ後日ワイヤーを抜くオペが残っていますし、(痛いの勘弁してくれえええええええ)数ヶ月のリハビリに取り組む必要がありますが・・・。

手術を担当してくださったのは、医師としてすごい経歴の持ち主で、肩専門のドクターです。そしてなんと、代表である病院長のサポートも入りました。

事故発生日から2週間以内に手術しなければならない

という課題をクリアできました。


私自身、病気やケガに無縁の人生で、この病院には初診で不安でいっぱいでしたが、一発で『お任せしたい』と思える先が見つかり、心あるドクターに担当いただいたのも、不幸中の幸いでした。
スケジュールを変えて、私の手術をねじ込んでくださったのです。本当に本当に感謝です。

今私が入院しているこの病院と素晴らしいドクターに辿り着けたのは、以前、兄が国内でバイク事故に遭った時に執刀してくださった医師が教えてくれたからです。

タイにいるときに、私は日本帰国後、すぐ病院が見つかるようすぐさまその先生に連絡をしました。


プレゼントさせていただいた
ミモザハート

本物の人は、ただただ思いやりの人である


私は兄を助けていただいたお礼に自分のアートポスターをプレゼントさせていただいており、そのおかげで連絡は以前よりしていた関係があったため、快く教えてくださいました。

患者としては関係ない私に対して、遠くから思いやりを持って接してくださいました、この今いる病院をご紹介してくれたその先生にも感謝なのです。商売だけでなく『本物の先生だな』と心から感心いたしました。

本当に、多くの思いやりある人たちの流れを感じて、今私は救われています。本当に有り難い、、、ただただ有り難い、、、。

後日このワイヤーを抜きます。


グロや血、ホラーに弱い私・・・


手術後、痛みが急に来ないようにブロック注射をしました。それにより左腕が操り人形のようにダラーンという動きになり『これは自分の腕なのか?』と、不気味で気持ち悪くて仕方ありませんでした。人間、腕の感覚がなくなるとブランブランになるんです。伝わりますかね?

ちなみに私はホラー映画、人が死ぬような残酷な内容の映画は一切見ません。大の苦手であり、嫌いです。そういうものが潜在意識に入ってもいいことないですし。

なので、手術でどうこうするだのの説明や、注射で血を抜かれる、血を見る、傷をみるだけで「はあぁ・・・」となってしまいます。。。。そんな自分、よく頑張っています。。。。本当に。。。。

左手が痺れている


ちなみになのですが、術後の夕食メニューは、正直なところ「なんでコレ?」という内容でした。😅
これじゃあ栄養全然取れなくないか・・・?
まぁ、食欲そんなにないし、そもそも食べれないんだけどさ…

夕食
パンにメロンパンにメープルジャム
ヤクルト、ゼリー…
甘いものだらけで良いのか?
邪魔なコード・・・

ペースメーカーはつけっぱなしで、点滴もあって身体の周りはコードだらけ。トイレに行くにも一苦労でした。ちなみに事故当時より歩行は可能なのです。左足は深めの擦り傷で済みました。



ピックアップ型のハイラックスという車が衝突したのですが、本当にこの程度で済んで良かった…と度々思います。奇跡です。本当に。検索して画像を見るとわかりますが、相当パワフルな車体で、デカイです。タイでは3分の1、この車体が道路を走っているそうです。これがぶつかったら死んでもおかしくないし、もっと多大な損傷があったり後遺症がでるようなことになってたかもわかりません。。。。うう、想像するだけで怖い。。。


そして手術後なので2、3日またお風呂に入れない日々が続きます。
あぁ、気持ち悪い。気持ち悪いです。

お風呂に毎日入れるってなんて幸せなことなんだろうと思います。私はお風呂や温泉が大好きなのでなおさらです。

女性なら理解してくれると思いますが、自分が毎日している美容のケアをできないと、もどかしくなりませんか?

私自身もう年もアラサーですからケアは欠かせないんです。いつものようにお手入れできなくて悲しい。。。そんな気持ちで過ごしています。当たり前のようにある、なんでもない日常が、いかに素晴らしく、愛おしいものなのか。この海外の交通事故から日本での手術、入院生活を通して深く深く感じています。

今日はざっくばらんに手術のことを綴ってみました。
読みづらかったら、ごめんなさい。
それでも読んでくださったあなたは、まちがいなく優しい人です。
どうぞこれからもお付き合いください。
それではまた。

From┊infinity artist NAO .

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