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それでも私は、自分色で生きる。


昨日の私が運営しているLINE@で
「LINE@のメッセージに興味のない方は今すぐブロックお願い致します」
と配信した。

このメッセージは今回だけではなく、去年も数回は放っている。
興味のない人は、ちゃんとブロックしてくれている。

このブロックの意図は、シンプルに述べると
受け取りたいと思ってくれる人にちゃんと届けたいという意味であるし、
私のコンセプトの「自分色で生きる」ことを、別の形で伝えている。

私は宗教家になりたいわけでもないし、
常に自分のメッセージを張り付くようにして
スマホから見ていてとは思っていない。
好きなタイミングで見てほしい。

ただ、購読者の中で「メッセージウザいな、興味ないな」
そう思いながらも、私にブロックしたら悪いと思ってしまったり
何となく、そのままにしておこうとか
そういう人とは長期的に関係を築いていくのは難しいし

自分の想いを一方的にぶつけていても、
エネルギーの無駄になってしまう、そう思って配信した。
(もしかしたら、ぶつけられてるだけとしか思われてない場合もある)

が、しかし、それが勘違いを引き起こした。

購読者の方で今年作品を好きになってくれた人から、
ネガティブと取れるメッセージが送られてきた。

人の考えは其々だから、どんな風に解釈されても仕方ない。

そして、人によって文章で反応する人、
目で、耳で反応する人様々だという要因もある。
どんなに言葉に気をつけても人というのは其々の解釈をして受け取る。

それから、自分は女性なのに、男性性のエネルギーを使いすぎている。
要は「尖り」の部分だ。

アーティストにとって「尖り」は大事な部分だ。
私から「尖り」が消えて、
ただただ、ふんわり、優しいだけになったなら、
皆さんが見てくださって感動してくれた作品たちは
この世に出現していない。

私自身、先輩アーティストの尖った言葉に突き放されて
自分を奮い立たせて行動してきて、今に至っている。

「尖り」のせいで、
女性としてのリズムが崩れ、バランスが取りづらくなった部分があるのも
よくわかっている。
「今年はもっと女性らしくしていたいなぁ」とお陰さまで思わせてくれる。
(何れにせよ「尖り」は消せない)


ある意味、こういう「アイタタタ...」と感じる胸がキュッとすることも、
ギフトなんだ。


一方で、ポジティブと取れる言葉をまた別の方から受けとった。

「自分を貫く姿勢、かっこいいです!」
「自分も、改めて今までのスタンスを考えさせられました」

どちらも、有り難い。


私だって恐れを感じる部分はあるし、根は内気だ。
見てくれている人の心の中できっと、色んなことを思われている。

「生意気だ、奢っている、ナルシスト、精神科に行った方がいい」

「かっこいい、トンガってる、貫いてる、奮い立たせられる」

色んな意見がある。




アーティストとして発信しているに当たり
色々な意見が出てきたり、反応があるのは当たり前というか、
有り難いことなんだ。
それだけ見てもらっているという証拠だ。


両方を抱きしめて
それでも私は、発信し続ける。
私自身が自分色で生きるためでもあり、
見てくれている人に、自分色で生きる勇気が伝わるように。

自分を殺さずに生きられるように。


FROM NAO 2019.1.3

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