不惑の年ごろ

40歳手前の人を、不惑というらしい。聞いたことはあるけれど少し古い言葉なので、あまり日常的に耳にするものではないと思う。

不惑、ふわく。読んで字のごとく、「惑わない、心が乱れたり悩んだりしない」という意味があるそうだ。40歳にもなれば、それだけ人間として成熟して、何事に対してもどっしり構えていられるようになる、ということなのかな。

そういえばわたしも、いつの間にかそれくらいの年齢になってしまった。35歳まではアラサーだと言い張っていたけれど、さすがに37歳になったらそれはキツイと自覚している。知人に「30代のうちはずっとアラサーだ」と言う人もいたけれど。

アラサーを騙ろうとアラフォーを認めようと、不惑と呼ばれる年齢には違いないけれど、当のわたしは日々惑い、悩んでばかりいる。惑わない、の不惑には程遠い未熟さだ。

けれど人が生きて思考する限り、惑わないなんてことがあるのかな。わたしは難しいと思う。そりゃあ、いつまでもウダウダ悩み続けてしまう人、瞬時にやるべきことを見定めて行動に移す人、いろいろいるだろうけれど。

わたしは完全なウダウダタイプで、どうしようもできない問題に脳内を支配されて身動きが取れなくなることが多かった。最近は、そこまで大きな問題が起こっていないせいか、そういうことはあまりないけれど。

ああでも、そうだなあ。惑わないのは無理だけれど、惑い続けても仕方がないじゃない、という割り切りは少し早くなったかもしれない。もしかしたら不惑とは、そういう意味があるのかなあ。

日々起こる問題に、心を惑わされることもある。道に迷ったり、判断に悩んだりすることもある。それは人が生きている限り、たぶん完全には消せなくて。

けれど少しずつ人生の残り時間が減っていくのを意識するなかで、迷うことに時間を割くのがもったいないと思うようになってきた。行動しても、迷っても、等しく時は流れ年を取る。それなら少しでも手や足を動かして、何かを掴みとろうと努力した方がきっと後悔も少ないはずだ。

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