人は誰でもマイノリティー
昨日、コンビニでたまたま見かけて買った「日経ビジネスアソシエ」。初めて買ったが、なんとこれが最終号らしい。表紙には「16年間のご愛読、ありがとうございました」とある。
ああ、出版社はどこも不況だと聞くけれど、これもその流れなのかな…とか思いながら、なんとなく手にとった。
少し前に、勝間和代さんが女性のパートナーと暮らしているというカミングアウトが話題になった。この本には、その勝間さんとパートナーである増原裕子さんのトークも載っている。
その中に「人は誰でもマイノリティー」だと書かれていて、わたしはその表現がとても好きだなと思った。
「マイノリティーに優しい社会」とか言われることもあるけれど、それってなんだか、あたかもマイノリティーと呼ばれる人が特殊で、「守ってあげなきゃ・優しくしてあげなきゃ」と言ってるみたい。ニュアンス的に、少しひっかかるなぁと思っていて。(本文中に同じような記述がある。『寛容という表現は、ちょっと上から目線』と)
ただそのあたりも、当事者からすればいろんな思いがあるはずで。「よく知りもしないで無神経なことを言うな」と怒られてしまいそうだからと、あまりLGBTについて言及したことはない。
なんか話がずれてしまった。そういう意味で、「誰でもマイノリティー」というのはすごくいいなと。だって、LGBTでなくたって、人には1つや2つ「なんか私のこの考えって少数派だよね」と思うところがあるだろう。
似たようなことを考える人はいても、まったく同じ思考回路を持つ人間などいないのだ。
雑にまとめると、「みんな違ってみんないい」なのである。
周りに合わせるのはどちらかといえば得意な方だと思ってきたけれど、一方でそれがすごく息苦しいと感じてきたわたしにとって、みんなどっかしらマイノリティーだよ、という考え方はとても優しい。