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季節外れの香りに誘われて

今朝乗った地下鉄で、開け放された窓の風にのってふわりと金木犀の香りがした。もちろん秋なんてとうの昔に過ぎてる。

春なのに?なんで今?どこから漂ってるの?

脳内が軽く混乱するのを感じつつも嗅覚に全身を集中させる。

と、ぼやぼやーっとした輪郭とともに泣きたくなるような気持ちに思いあたった。

思い出したくないイヤな記憶ではなくて、むしろ甘くてあたたかい感じ。懐かしい何かに触れてるような感覚だ。

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むかし、実家に1本の金木犀の木が植っていた。秋になるとつぶつぶしたオレンジ色の愛らしいお花から漂う甘やかな香りが大好きだった。

花と呼ぶには小さいし目もつきにくい。それなのにこんなにいい匂いがするなんて。

最初はこのいい匂いが自分の家から香ってることもわからなかった。お菓子みたいに甘い匂いが身近に感じられることが幸せだった反面、こどもながらにすごく不思議だった。

いい匂いって、今いる場所から心だけ即座にタイムスリップしてしまうような魔力的なチカラがある。

焼き立てのパンとか、香ばしいニンニクなんかを嗅いじゃうととたんにお腹がぐーぐー言ってしまう。食欲が刺激されると自然に唾液も出てくるし、体の反応ってバカ正直で素晴らしい。

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金木犀の香りで思い出すのは、書道バッグを手にした小学3〜4年のわたし。

お気に入りだった服に書道の授業で墨をつけてしまったことがなぜか香りとセットで思い出される。きっとやらかしてしまったのが初秋だったのだろう。

あるときはうっかり鍵を忘れて金木犀の木をよじ登ってベランダから侵入(⁈)したこともあった。

毛虫がいたらどうしよう(そっち?)とドキドキしながらよじ登ったときの鼻いっぱいに広がる金木犀の忘れがたき香り。

今となってはどうでもよい記憶たち。

過ぎ去った昔のことがこんなにも鮮やかに蘇る。

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そういえば、嗅覚を支配する脳のテリトリーと記憶をチャージする海馬(だっけ?)は距離的にも近かった気もする(間違ってたらすみません←調べない人)。

香りという媒体を伝って記憶を強化してるようにも感じるし、実際に試験勉強するときに香りとリンクづければ暗記もしやすいかもしれない。


自分では思い出せないレベルで息づいてるモノが細胞レベルで染み込んでいて、香りを嗅ぐことがトリガーとなり体に記憶された思い出がひっそりと頭をもたげる。

懐かしく甘やかな記憶がおばちゃんになった今によみがえる。その姿はうすらぼやけて輪郭もハッキリしないながらもお空にぽっかり浮かぶ「嬉しい」という名の雲みたいにそれが「ある」のがわかる。それを感じてニンマリできることが幸せだったりする。

生きるごとに思い出のストックが増えていって、たまにこんな風になにかの拍子で思い出したり懐かしんだりできるのは、実は年の功なのかもしれない。

あ、でもいま書いてて思った。

子どもは過去をなつかしむ必要がないよね。もっと今を、未来を、純粋に楽しみたい。その連続だけなのかもしれない。

歳をとってもとらなくても、それなりの楽しみ方があるのかも。

にしても、わたしが歳をとったのは事実(笑)。

「今」しか考えられなかった時代はわたしにもあった。そんな若き頃を経て、懐かしみながらもわたしは今「ここ」に立っている。

生きてるって変化の連続だ。

変化することを楽しみつつ潔く受け入れていくことが幸せの秘訣だわ。

にしても。

地下鉄の金木犀はどこから香っていたのだろう。



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