【nanoha project.マガジン vol.6】


今回は僕「イワブチコタロウ」的シンガーソングライターが曲作りにおいて最も苦しむ作業のひとつ「作詞」についてお話ししたいと思います。


楽曲制作において作詞・作曲という作業は、レコーディングやCD制作に比べれば軽作業といえます。鼻歌でも立派な楽曲と言えますからね。しかし、楽曲制作工程の中で唯一、無から何かを生み出す苦しい作業でもあるのです。

曲作りの方法は人によってそれぞれのスタイルがあります。メロディを作ってそこに詞を乗せる人、詞にメロディをつける人、ギターのフレーズから作り上げる人、はたまた全部同時にやる人など、多種多様です。なのぷろメンバーもきっとバラバラだと思います。

ちなみに僕はギターから作り始め、詞と曲はほとんど同時というパターンが多いです。死ぬほど時間がかかります。


そして僕が何より重要視するのが「詞」です。詞がすべてと言っても過言ではない。ほんの一節の歌詞が思いつかないばかりに披露することのできなかった曲が山ほどあります。

なぜそんなに苦しむかというと、作詞とは言葉を捨てていく作業だからです。


当然のことですが、歌詞には文字数の制限があります。極端なことを言えば、一小節のメロディに原稿用紙いっぱいの詞は乗せられない、みたいな話です。

ですから、せっかく浮かんだ言葉たちを、本当に必要な詞かどうか自問自答を繰り返しどんどん削り落としていくことになります。

「本当に必要」とはどういうことかというと、例えば「雨の夜、傘もささずに」という詞を思いついたとしましょう。

絵は浮かびますね。

でも、「傘もさせなかったあの夜」と言い換えたらどうでしょうか。雨とは一言も言ってないのに似たような絵が浮かんできますよね。

ここでは「傘」という言葉にとって「雨」は贅肉です。


と、こんな作業を黙々とやるわけですが... 脳が3つ欲しい。

さて「贅肉」と表現しましたが、わかりやすくいうと「説明しすぎ」ということです。書かずともきっとわかってもらえる言葉は捨ててしまう。

「言葉を捨てていく作業」の意味をわかっていただけましでしょうか。


2つほど例を挙げますね。


八代亜紀さんの「愛の終着駅」という楽曲に見事な詞があります。

「文字の乱れは線路の軋み(きしみ)」

わかりますかこれ。列車に乗って手紙を書いてる場面なんですよ。線路の軋みで列車が揺れるから、したためる文字が乱れてしまう、そんなシーンです。さらに言えば、きっと文字の乱れは揺れのせいじゃない。震えてるんです。

それを強がって線路の軋みのせいにしている。「手紙」とも「列車」とも言わずにここまで描ききる技巧には涙が出そうです。


もうひとつ、寺尾聡さんの「ルビーの指環」から。

「くもり硝子の向こうは風の街 冷えた紅茶の残ったテーブルで
衿(えり)を合わせて日暮れの人波に まぎれる貴女を見てた」

絵は浮かびましたか?そしてこう続きます。

「そして二年の月日が流れ去り 街でベージュのコートを見かけると
指にルビーの指環を探すのさ 貴女を失ってから…」

後出しですが、この詞の主人公の男は愛する人にルビーの指環を送り、別れてしまった今も雰囲気の似た女性を見かけると、その指に自分がプレゼントした指環がないか確かめてしまう、というお話です。

もう一度読み返してみてください。

前半では「衿(えり)」としか書かれてないのに、「ベージュのコートを見かけると」でその女性のことだとすぐに理解できますよね。

俺だけ…?

いやそんなことないはず。

これも本当に見事です。歌詞に情報を詰め込むことなく、聴き手の想像力とのコンビネーションで描きたい場面が完成する妙です。


まとめにかかりましょう。

詞ですべてを書いてしまうと、実に凡庸な曲になります。聴き手は書き手の見たシーンを頭の中で再現することしかできなくなってしまうのです。良い詞とは、聴き手の感性で補完されたときに無限の表情を見せるもの。

僕たちはそう信じて、苦悶しながら今日も「詞」を書いています。

(2020.05.26 イワブチコタロウ)


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