戦争というもの

今日、たまたま原爆の開発に参加したアメリカのアグニュー博士と当時の戦争の渦中にいた日本人の対談動画を見た。生まれてこの方、原爆は酷いものだ、日本人はアメリカ人によってとてつもなく残酷な目に遭わされたと教えられてきた。原爆投下の映像。被曝した人たちを描いたアニメーション。被爆によって苦しんでいる人々。そういったものを今まで見てきた。原爆はもっとも危険である。使ってはいけない。それを使ったアメリカ人は最低だ。少なからずこう思ったことのある人は何人もいると思う。

今日見た動画で、日本人はアグニュー博士に謝罪を求めた。原爆を開発し投下する映像を撮ったアグニュー博士はこう言った。「悪いと思っていない」「謝るつもりはない」「真珠湾を忘れるな」対談していた日本人は哀しい表情だった。でも確かに、アメリカ人も日本人もお互いを傷つけあった。命を奪い合った。原爆で大切な人を失った人は多いと思う。けれど、アメリカ人だって大切な人たちを殺された。日本人は大切な人を奪ったアメリカ人に怒りを向ける。アメリカ人は大切な人を奪った日本人に怒りを向ける。おそらく、アメリカではなくて日本で原爆が開発されていたら、アメリカに対して原爆を落としたのだろう。戦争に勝利し、こう言うだろう。「謝るつもりはない。なぜなら、日本人もたくさん殺されたから。」そしてアメリカ人はこう言う。「原爆なんてものを落とした日本人は卑劣で残虐だ。」

大切な人が、原爆で死んでも、銃を撃たれて死んでも、殴り殺されても、死は死だ。その人にとって大切な人が死んだ。今まで、戦争について学校で習ってきたつもりでいたけど、今日初めて本当の戦争の残酷さ、悲惨さを知った気がする。戦争は勝敗なのだと。どんな形であれお互いが殺し合い、大切な人たちを奪っていった。互いに怒り、苦しみ、その感情をさらに相手に向け、さらに人を殺す。負の連鎖。

アグニュー博士は原爆はこれ以上使うべきでないと言った。だが、世界各国は核兵器をさらに発展させ備えている。僕は決してアメリカ人を擁護しているとかではない。ただ、一方的ではなく互いを傷つけ合ったということは認識してなければいけないと思う。このことを認識していれば、世界は戦争にはならないのではないか。どちらが悪いということでは無いということ。戦争はこれ以上起こしてはいけないということを。



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