七代先まで飲み明かす ~帰りゃんせ百物語『#末代バー』シリーズ~

出版創作イベントNoveljam発の怪談小説『帰りゃんせ』の販促企画として百物語連載が進行中。その中からシリーズ化されているものをピックアップして、読み切りエッセイとしてまとめました。
この記事では、日野さん行きつけのバーに関連したお話を集めました。
※ 当記事の著作権は、元記事執筆者の日野光里さんに帰属します。

火事で燃えた遺影

去年のクリスマス会、プレゼント交換会もあるというので、いそいそとプレゼントを買って行きつけの店へと向かった。

参加者は少なくともあとひとりはいるはずだったのに、時間になっても来ない。

これは!私と店長とふたりでチーズフォンデュ鍋っすか!

店長とふたりでプレゼント交換っすか!

面白い!!

と思っていたら、無事にその後、ふたり参加者が来まして、総勢4人でのクリスマス会となり、プレゼント交換会もできました。

チーズフォンデュすると、白ワインが強すぎて、みんなが寝てしまい、酒に酔わない(だが苦くて普段飲まない)私だけが元気で、

「あ、これ、ホラー映画でひとり死ぬやつだ」

状態でした。

で、これは、そこで採集した話。

彼女は数年前に父親を亡くしていました。

それで、遺品にと免許書を財布に入れて持ち歩いていたそうです。

ところが、一年も経たずに、家が全焼。

すべて焼け落ちてしまいます。

そのため、父親の遺影も焼け、写真も焼けとなり困っていた矢先のこと。

友達とスーパーに買い物に行ったときに、

「何か落ちてるよ」

と言われ、振り返ります。

すると床に父親の免許書が落ちているではないですか。

まだ財布はバックの中、とても外に落ちる状態ではありません。

「どうして……?

あ、そっか。遺影にはこれを使えってことなのね」

そう気づいた彼女は、早速免許書の写真を伸ばして、遺影にしました。

不思議なこともあるものだなあと、チーズフォンデュをつまんでいたクリスマスなのでした。

新年も怪談新年会参加しましたけど、私はクリスマスも怪談まみれさ!

ブランコの記憶

先日、私の電子書籍「帰りゃんせ」のチラシを置かせてもらおうと、行きつけの店へと出かけました。

ええ、例のあやうく店長とふたりのクリスマスチーズフォンデュ会になりそうだった店です。

店長が優しいので、やってきたお客さんにもチラシを渡してくれ、

「この人、怖い話探してるんだけど、何かない?」

と聞いてくれました。

ありがと――!

すると、たまたまやってきたお客さんが隧道巡り好きというマニアな方で、

(しかもヘルメットにライトを装着して自転車でくぐるという徹底ぶり)

体験談を語ってくれました。

ちなみに隧道ネタは福岡の地方人気番組ドォーモの中のシリーズでありまして、私も話が合わせられましたわよ。

これの♯4をご覧ください

【前略、道路の上より~隧道SP第1話】大分のキング・オブ・隧道(トンネル)と海の上の国道に燃える!

と、ありますね。

これは我が故郷日田と耶馬渓を抜けるところにある隧道なんです。

どうも大分県というのは隧道マニア垂涎の地らしいですよ。さすが青の洞門があるところ!

特に上記の大石峠隧道は全国的に隧道マニアの間では有名だそうです。知らんかった。

でも、この隧道……よく心霊スポットになります。

それはまだ彼が高校生の頃です。

すでに隧道マニアでした。

場所は確か岐阜県だった気がするけれど、友達と隧道巡りのチャリ旅をしていたそうです。

で、とある隧道の前で野宿することになりました。

ところが、夜中、ブランコをこぐ音が不気味にずっと鳴り響きます。

ギーコ、ギーコ、ギーコ。

こんな夜中にブランコはないだろうと思いつつ、傍にあるのかと、ヘルメットのライトであたりを照らして探し始めます。

けれど、ブランコはありません。

代わりに、ヘルメットの丸いライトの光に浮かび上がったのは、こんもりと積まれた花束の山でした。

翌日、明るくなってからも探しましたが、やっぱりブランコはありません。

それから30年が経ちます。

テレビの心霊スポット特集を見ていると、あのときの隧道が映っていました。そして、番組の中では、ラップ音が撮れたと騒いでいます。

そのラップ音が、

ギーコ、ギーコ、ギーコ。

あのときのブランコをこぐ音そのままだったそうです。

30年ぶりに聞くその音に総毛だったと言ってました。

獅子頭くんの好み

今まで、二度にわたって話題に出てきた行きつけのバー。ここにも不思議なものがある。

それが獅子頭くん!!

これが平常時ね。

でも人感知センサーがあって、感知すると冒頭のようにガオーーと吠えて、目が光る。

ところが、これには不思議な片寄りがあるのよ。

まず、獅子頭くんは綺麗な女の人好き。

とあるアーティストの作品なんだけど、ギャラリーにいたときは、そこのオーナーが素敵マダムで、会場に彼女がくるたびにガオ――――!!

誰よりも先に気づいてガオ――――!!

綺麗な女性のお客がくると、ガオ――――!!

一方、嫌いな人もいて、とあるお兄さんが来てもシーン。

一応、口の中に手を入れると反応する設計なんだけど、入れてもシーン。

なのに、みんなで話していると、ちゃんとオチがあるところで、ガオ――って笑い吠えをする。

獅子頭くんには笑いのツボがある!

獅子頭くん、まだバーの守り神か常連客のようにしているから、福岡にきたら見にいってあげて。井尻駅徒歩3分よ!

末代バー

呪われた人というのはいる。

残念ながら、呪われているのもわかって、霊能者を頼っても助けられないと言われ、結局亡くなった人を知っている。

その人のせいじゃないのに――。

先祖の行いのせいで、呪われて、結局、彼は死に、その一族は死に絶えた。

最後に、生きてると見まごう姿で、かつての職場に現れたそうだ。

そう同じ職場で働いていた人から聞いた。

まったく普通の人間に見えたけど、同じ時間、彼は病院で危篤状態になっていたので生きている体とは違う。

オカルト好きなら「七代先まで呪ってやる」というのが、ひとつの決まり文句のようになっているのを知っているだろう。

ちなみに一代目を100パーセントの呪いとして、次代ごとに2分の1ずつにしていくやん。二代目で50パーセントの呪い、三代目で25パーセントの呪い……すると7代目でちょうど100パーセントの1を切るんだよね。

「そっか、七代ってそういう意味か!」

と妙に納得した。

その昔、呪いの最上級のものは一族を絶やすものだった。

だから、子どもができないで死ぬというのは最大の呪いだったわけだ。

「お前を末代にしてやろう」

という言葉ほど怖いものはなかったわけ。

ところが、今はどうだろう?

別に子どもを作るも作らないも自由だ。

家が絶えたところで、それがそんなに悪いこととも思わない。

大好きな寺尾玲子さんの実話怪談漫画シリーズにも、そういう話が出てきて、大変感銘を受けた。

呪われた一族の最後の母娘になったふたり。

呪いは完遂している。

けれど、その母娘は決して不幸ではない。

幸せの価値基準が違うからだ。

娘は立派に働き、結婚はしてないものの、友達に恵まれ、母親と一緒にのんびりと暮らしている。

呪いさえ、時代で変わっていくのだ。

さて、この話を獅子頭くんがいる行きつけのバーで話したとき、カウンターに並んで座っていた常連客たちが、次々と

「あ、俺も末代」

「私も末代」

「僕も末代」

と末代宣言をしていった。

でも、みんな愉快で楽しそうに今夜も飲んでいる。

福岡に来たら、ぜひ末代バーへお寄りください。

あなたも楽しく末代の仲間入りをしましょう。


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