台所のワルツ

(いずみあや作「二月の台所」より)

どちらにしても 奧さまがいなくなって
だんなさまは変わってしまった
ほおはこけ 目はくぼみ ひょろりと痩せて
どこを見ているかわからぬ 目つき
ぶつぶつと聞きとれないひとりごとを呟いたり
部屋の中をぐるぐると歩きつづける

屋敷の台所で 飯たき女たちの
うわさばなしが言うには

だんなさまは 奧さまを亡くされた
お医者も手をつくしたけど 無駄なこと 治療のかいなく
ローソクの火がきえるように 命も消えてしまった
だんなさまの悲しみようといえば それはそれは深かった
一年間 喪に伏して 窓には黒いどんちょうを閉ざし
さわやかなはれたはるの日でさえ おもてに一歩も出なかった
愛していたのねきっと なんてかなしい物語

いいえ 亡くされたのではないそうよ
わたしが聞いたのはすこし違うおはなし
奧さまは 出ていってしまったの
とつぜん ほのおのようにいかりだして
だんなさまは止めたけど きく耳もたず
早馬の馬車に乗って 風のようにお屋敷を立ちさった
なぜかって 分からない
せいかくの不一致ってやつかなあ

わたしは もっと恐ろしいはなしを聞いたわ
奧さまは ころされてしまった
ナイフのひと刺し 毒薬の小瓶 頸周りには粗なわ
なにを使ったか だれも知らない
奧さまはくびを斬られて 地下の倉庫のたるのなか
イワシといっしょに あぶら漬けになっているというわ
なぜ知ってるって 倫敦(ロンドン)でそんな事件があったの
新聞で読んだからまちがいない

かまびすしいおしゃべり女たち 台所から出てゆき
入って来たのは だんなさま
その後に ひとりのわかい飯たきむすめ
とおくからは ウインナワルツの響き 誘われ
むすめは だんなさまと踊りはじめる

だんなさまは むすめの耳もとでささやく

おまえはなくしたものによく似ている
いまのわたしのうつろな頭に ふさわしいのはおまえだけ
どうか わたしのものになってくれまいか
わたしの頭に こころを取り戻してくれないか

むすめは 聞こえないふりで 踊りつづける

わたしがだんなさまを受け入れたらどうだろう
飯たき女は いつまで働いても飯たき女のまま
でも奥さまになれたなら
ドレス着て 夜会に出かけ
香水 宝石 色うつくしく
上流階級のなかまいりできるわ きっと

いえいえ そんなにうまくゆくはずはない
飯たき女は いつまでたっても飯たき女
奧さまどころか 都合のいいおめかけさん
すき勝手に もてあそばれて
子どもでもできたら はした金でおはらい箱よ

どうなのだろう どちらなのだろう
ワルツにのって 二人は回る
むすめのこころも くるくる回る

ふたりは踊りつづける
いつまでも いつまでも
夜はふけ いつまでも 止むことなく

改稿:2020/09/08