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「その街と獣のために」/川野芽生『Lilith』

川野芽生歌集『Lilith』評
𠮷田恭大

 二〇一八年に第二十九回歌壇賞を受賞した著者の第一歌集。

借景を失ひしゆゑわが庭も芝居小屋たたむやうにさみしき

庭と芝居小屋。「借景」という機能によって二つの建築が結び付けられる。

外《と》に出ればわすれてしまふ絵のうちに市庁舎の鐘いつまでも鳴る
図書室に冷水機にぶくひかりをり  かがみこむ人を獣に変へて
夢の底のラファエル前派展、たぶん実在しない友と来てゐる

市庁舎、図書室、美術館。人工物の中に詩歌を見出すためには、自分の中にその建築を、都市の機能を改めて理解する必要がある。

歌集の中に取り込まれた人工物は、実在のものに留まらない。とりわけ中盤以降、竜や天使といった、先人たちの物語によって作り上げられた空想の存在が多く登場する。

幻獣のかたちに都市をさらしつつわが呼ぶまではそこに在れ、雲
こころとは異土のこと 尾を喪ひし人魚を夜の森に放てよ
蕃神の裾ひくごとき雪の街を群狼として過ぎつ 忘れよ

世界はそこにあるもの、と、そこにいないもの、のヴァリエーションで成立している。庭を出て街を歩くと、そこに一瞬、実在しないものの影が見える。見逃したシーンを確認するように連作を読み返すとき、作中の空想的な、人ならざる者の存在は、この街に不可欠な要素としてあり、作者に与えられたそれぞれの役割を改めて感じさせる。

青銅の森のやうにも竜ねむりかつてその森よりわれら来し
露台《テラス》とは天馬の港  われはその港守にて千年を立つ

作者からもたらされる異界の語彙が、読者にとっての現実にわずかにでも接続される瞬間、そこでわたしたちは改めて現世の側の歪みに気づかされるのではないだろうか。

客人としてここに来てかみさまの姿をうまく撮れずにゐたり
投光器へとあゆむときみづからの影にて星々をさえぎりぬ

(『歌壇』2021年9月号より加筆修正)


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