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価値観の押し付け

道徳ってあったよね

学校の授業の中に道徳という教科があったと思う。
その教科でみなさんは何を学んだ記憶がありますか?
おそらく・・・まったく何を学んだのか分からないのが現実ではないでしょうか。
お子さんがいらっしゃる家庭でも,子どもが何を学んでいるのかよく分かっていないのではないでしょうか。

道徳って実は奥が深い

道徳という言葉を辞書的な意味で考えれば,「道」とは人が従うべきルールのこと。「徳」とはそのルールを守ることができる状態。
それは物理的強制を伴う法律などとは異なり,自主的に正しい行為を行う内面的なものとして守るということである。
さらに,文部科学省が定めている学習指導要領に載っている小学校の道徳の目標として,

「道徳的価値についての理解を基に,自己を見つめ,物事を多面的,多角的に考え,自己の生き方について考えを深める学習を通して,道徳的な判断力,心情,実践意欲と態度を育てる。」

とある。
つまり,人間としてのルールを学び,守れる人間になりましょう。
そして,自分の内面を知り,物事を一つの見方だけでなくいろいろな見方をして考え,自分の生き方について考えてみましょう。
道徳の授業とはこのようなことを学ぶ授業なのである。

個人的見解

個人的な見解としては,道徳とはまず人間としてのルールを理解して守れるように努力していきましょう。
そもそも家庭で教えるレベルの話である。
学校でいちいちこんなことは教えていない気がする。
問題を起こした児童生徒に対してそれを指導,そしてクラスで共有。
問題が起きる前にこういうことはしてはいけません!と指導した記憶がない。
そしてこれが守れない児童生徒がその学年での要注意人物になるわけである。

次に,自己を見つめるという子とは自分自身が今まで生きてきた中で生まれた価値観を見つめ直すということである。
ある事象に対して自分はどう考え,どう感じるのだろう。無意識にボヤっと感じるのではなく,改めて自分の価値観を言葉にして見つめ直すということである。
これは学校でやる価値があるだろう。
毎回道徳の授業ではある一つのテーマについて考えるので,それに対して自分の価値観を見つめ直せばよいのである。

そして,それらを他の人たちと確認し合うことで様々な価値観がぶつかり合う。自分以外の価値観に出会ったときに拒絶したり,否定したりするのではなく,そして受け入れるのでもなく,
「そういう物事の見方もあるんだな。」と認めることが大切なのである。
それが多角的に考えるということである。

つまり,道徳とは人間としてのルールを知ったうえで,ある事象に対して自分の価値観を知り,周りの人と価値観をぶつけ合うことで新しい発見をしよう。その発見を基に今後の生き方についても考えてみよう。
という授業なのである。

学校の現状

では実際に学校ではどのような授業が行われているのだろう。
完全に価値観の押し付けである。
学習指導要領にも

「特定の価値観を自動に押し付けたり,主体性をもたずに言われるままに行動するよう指導したりすることが,道徳教育の目指す方向の対極にあるものと言わなければならない。」

と記載されているにもかかわらず・・・
黒板の写真を撮り,教室に掲示するために言わせる意見。
その日のテーマである道徳的価値に誘導するような需要の進め方。
提出のために書くノート。
完全に価値観の押し付けである。
本来なら,別にその日の道徳的価値を理解できないという子がいても良いのである。まったく別の意見を言う子がいても良いのである。
さらに,友達の新しい価値観の発見があったらなお良いのではないだろうか。

こんな価値観のぶつかり合いのある道徳の授業を見てみたいものである。
お子さんがいらっしゃる家庭はぜひ道徳の授業で何を学んだのか聞いてみて欲しい。
実は道徳の授業は本来ならば実社会に通じる学びがある数少ない授業であり,とても奥が深いものなのである。
しかし,残念ながら学校教育ではそれが実現されていない。
実社会で必要なものが学べる学校であって欲しいものだ。

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