私見60
60は嘘だろ。絶対盛ってる。
己の音楽遍歴を遡るシリーズ、最終章。たぶん。
始めます。
大学生になった私は音楽ライブの音響照明を主な活動とするサークルと自分たちでライブを企画するサークルに入りました。
そこで音楽好きな人と多く出会うことになります。環境に感謝。
1年生のときのハイライトといえばきのこ帝国との出会いでした。
正確に言えば、高校生の頃から出会ってはいました。ただ、認識が大きく変わりました。
きっかけはJAPAN JAM2016でのパフォーマンス。
春の浜辺。強い潮風。夜の闇。すべてがきのこ帝国のためにありました。
そこで奏でられた「夜が明けたら」で轟音の美しさに気付かされたのです。音が気持ちい感覚に完全に堕ちてしまった。
帰り道に日比谷野外音楽堂でのワンマン公演の応募をしたことを覚えています。
野音でのパフォーマンスは私の中で唯一無二の音楽体験でとても文字にはおこせないので割愛。
あの「国道スロープ」を聴いた人と今お酒飲みたい。
きのこ帝国の音楽性を掘っていくうちに所謂シューゲイザーと言われるような音楽が好きになりました。
海外の音楽を自然と聴くようになったのはここからだと思います。
My Bloody ValentineやSlowdive、DIIVなどを最大音量で聴きながら必修の語学の教室に向かっていました。
音楽の楽しみ方を大きく変えてくれたきのこ帝国には大感謝。またライブ観たいです。
ここからは本当に今までと比べて音楽をディグる速度が段違いに上がっていったから雑に触っていきます。キリがないので。
全部きのこ帝国のせいだ。
高校生のときからの変化で言えば、小さなライブハウスによく足を運ぶようになりました。
パンパンの塔を観るために池袋Adm、羊文学を観るために下北沢BASEMENT BARなど。(羊文学は前述したきのこ帝国の野音公演で配られたフライヤーで知った)
そして対バンで好きなバンドが増え、そのバンドの対バンでまた好きなバンドが増え・・・という幸せなループが始まったのです。素晴らしい。
特にBASEMENT BARではTENDOUJIやカネコアヤノといった今やリキッドやそれ以上のキャパでワンマンライブを開催するバンドのライブも見ました。
TENDOUJIでは狂ったように楽しいライブがあることを教えてもらったし、カネコアヤノの音楽は今も私の生活に寄り添ってくれています。
海外のバンドへの入口は基本的に日本のバンドのルーツを探るかたちでした。
Luby SparksからThe Cureを聴き、Helsinki Lambda ClubからThe Strokesを聴きました。
TENDOUJIから聴くようになったTeenage Fanclubにいたってははその2バンドの対バンが実現したので梅田まで飛んで行きました。
しかし、この聴き方ではどうしても若いアーティストへの間口はほぼ開かれません。
そんな私でしたが、あるアルバムの発売から新譜も聴くようになりました。
それが『A Brief Inquiry into Online Relationships』(The 1975)です。
The 1975自体はGalileo Galileiのルーツを追ううちに聴いていました。
ですが、このアルバムのリリースされた瞬間に聴いたときの高揚感とそれ以上にオタクで気持ち悪い(褒めてます)SNSでの反響によって、リアルタイムで音楽を追う楽しさを知りました。
翌年にSUMMER SONICでThe 1975のパフォーマンスを観れたのは最高の思い出です。
そこからは新譜や若いアーティストもなるべく追うようになりました。
girl in redとAlpaca Sportsは早く来日して。
そういえばgirl in redは一昨日に新曲出してましたね。
語弊を招く言い方かもしれないですが、現行の音楽を追った方が絶対楽しいと思います。
長くなりましたが、ここで私の音楽遍歴の旅は終わります。
ベボベからのナンバガとか、宇多田ヒカルからの小袋成彬とか、BearwearからのTurnoverとかもっと書きたいことはあったんですけど本当にキリがないのでここまでにします。
当たり前かつ影響が大きすぎて書き忘れていましたが、音楽ストリーミングサービスは最高。ありがとう。
あと、「当時好きだった」みたいなニュアンスでずっと書かれていますが名前を挙げたアーティストは今も大好きです!!!好き!!!自分で読み返してて「こいつ今も全部好きやんけ」って思ったので一応!!!
長い間お付き合いいただきありがとうございました。
音楽オタクたち見てると、まだまだ音楽の楽しみ方は無限っぽいのでこれからも趣味の欄に書くことは変わらなそうです。
明日からは何書こうかな。
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