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母の行動に賞賛 ありがとうもしもノート 兄よ落ち着け3

お疲れ様です。
なんだか少し落ち着いた平日の仕事で安心しているナニモノです。ある程度自分でコントロールできるって大事。

こんにちは、週末海岸清掃をしたり、サラリーマン大家を目指したり、父親として家事育児仕事を頑張ったりしています。最近は散歩を10000歩/日を頑張っています。

早速本題ですが、今回かシリーズ三作目。一番大事なことかもしれません。 f)についてはほぼ前作までで書いてしまっています。項目分けなきゃ良かったw
e) は、熱を持って書いてしまいそうです。

https://note.com/nanimonosan/n/n55c391254bd5

a)いきなり全体の話すな!!
b)もしもノートはいつのどこのだ
c)あくまで遺す側の意思表示が目的
d)なんのために残すのか
e)希望を書くのは構わないが 尊厳死の項目が突きつけたこと
f)わからないことが多い。一度では終われない
g)兄弟ガチャという不満はある。兄弟姉妹は選べない

e)希望を書くのは構わないが 尊厳死の項目が突きつけたこと

母が話の中で急に「私は延命治療はいらないから」「それでいいね」

突然何かと思いきや、その項目がもしもノートにあったらしい。どうやら尊厳死について言及しているページだったようだ

「よくないよ!!」兄と私はそういうしかないw
笑い事ではないのですが、いきなりそんなこと言われても。主張はわかります。意思の否定ではない。

そんな簡単なことじゃないから!!
やはり意図がわからない。どの程度を望みどの程度を望まないのか。

安楽死が嫌なのか、延命治療が嫌なのか、、、

簡単に済ますな!!というツッコミですw


正直な気持ち

そんなことまでこれから向き合うのかと思いました。

別にここで初めて知るようなことではないです。過去の経験からもわかってることです。
自分もこれからそれを妻と子供と向き合って繋いでいかないといけない。
自分が子供の立場としてそうしなければならない。

だからこそはっきり言えるのが、そんな簡単なことじゃないでしょ!というツッコミを母の前で男どもはしたわけですw

結局息子の母への愛情表現(こじらせ)なのでしょうか。姉妹はなんも思わないようですw

とりあえず受け入れておけば良いだけなのにね、、、息子ってのはそんなもんなんでしょうか。

ここで一点

過去記事含め、一般論のように書いてる家族感や事象を書いてしまっています。ただ、あくまで私の所感であり、過去の事実をベースに話しています。
世間一般がこうだとは思っていません。

あくまで、私の今と過去が何かの役に立てたら。自分の中でも消化できたらと思い書いています。

色々な違いがあるのが現実

上で書いたように家族にも色々な形や考え、過去現在未来がある。
生きる死ぬにも当然様々な考えがある。

LIVING WILL

私もこれから勉強するので正しい知識ではありませんが、医療の終末期における選択が、本人の意思を尊重するというサポートをする取り組み。それをおこなっているのが、公益財団法人 日本尊厳死協会のようです。

生きること死ぬことは、各々の考えがあっていい。尊重されていい。
平穏は時に自分の命の尊重をしましょう

簡単にいうとこんな感じでしょうか。

いつかは必ず最期を迎える

それは突然訪れるかもしれないし、宣告されるかもしれない。自然に衰弱する中でゆっくり訪れるかもしれない。絶対的なのは、必ず最期は死ぬ(医学的、法的)ということです。

その時、個人の考えが尊重されるというのは素晴らしいと思います。

私は父を突然亡くしました。その瞬間には間に合わず。すでに医者が判断した後でした。
生きているうちにお別れは言えなかったというやつです。

あまりに唐突で、いつ思い返しても、時系列で物事を思い出せるような記憶に残る状態ではなかった。

だからこそ、事前の備えは大事だし、相手の意思を尊重することは素晴らしいと思う

なにがなんでも、寿命がつきるまではあがきたい。家族を困らせるくらいなら、延命はしない。自分が苦しむなら延命はしない。

自分と家族と向き合っていく大切なことですね。

だからこそ思うこと

その線引きって難しいですよね。ノートに一言書いてわかることではないし、チェックを付けてはいOKでもない。
じゃな長々手紙に書き連ねたらいいのか

そんなことでもない。

簡単に意思表示できなし、簡単に理解もできない。

本人は判断できないし、意思表示もできない。ある子どもはまだ大丈夫だよと思うかもしれないし、もう可哀想と思うかもしれない。本人はしんどいって!と思う人もいれば、本人はもっと生きたいかもと思う人もきっといる。

あくまで、平時やゆるやかに迎える最期しか想定ができないわけです。
いや、それですやきっと考える。めちゃくちゃ考える。それか悟ってるかもしれない。

あくまで希望。もしもノートやエンディングノートを書いて遺していく人が、覚悟しておかなければならない。
自分がこうなったとき、委ねるしかない。ということです。
その時の家族の状況にもよると思いますしね。

これが現実なんだろうということです。結局すべての意思は遺せない。

そして、それがどんな時に起こってもいいんだ、とわかっておくことが大事だと思います。

少し余談

下世話な話(事実はわからないです)が、著名な方が、事故や事件にあい、死亡が濃厚な報道をタイムリーにされたとします。

その時、家族が覚悟を決めてもしなければならないことがある。
いいか悪いかではないですよ。正義の話でもないです。

現実に起こる話です。

スマホやPCのロック解除。必要な資金の現金引き出し。凍結されてからでもだせるのですが、その必要は世帯によります。

スマホやPCは具体的になにとは書きません。ただ必要なケースは出てきます。ただそれも家族が知っているということが大前提ですが、、、

おしまいに


下世話な話を挟みましたが、人の最後が尊重される。その意思表示をすることは大切だけど、最期は覚悟する。ゆだねる。しかできないことを理解しておくことが大切です。

もしかしたら、意見が変わるかもしれないけど、今の私の意見はここ。


それでは少しくらい話ではありますが、

LOOK UP!
皆様素敵な一日をお過ごしください

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