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卒業式でゲボ吐かれた話

私が通っていたのは割と真面目な高校だったため、卒業式も厳粛に執り行われた。何事もなく、式は生徒呼名の段取りに入った。各クラスの担任が名前を呼び、呼ばれた生徒が「はい」といって起立し、校長に一礼する、あれだ。全8組ある中、私のクラスは5組と後半だったため、何も考えずぼーっと椅子に座っていた。

2組の中盤が過ぎたあたりだったと思う。「うっ」という声が後ろの席から聞こえた。後ろの席に座っているのはクラスの中でも仲がいい奴だったので、振り返って「大丈夫?」と声をかけようかと思ったが、卒業式において、頭の動きがどれだけ目立つかを私は知っている。まあ大丈夫だろうと思い、しっかりと正面を向いた、その二秒後だった。

鈍い音がして背中に何かが当たったのを感じた。振り返るとうつむている男がいた。激臭が鼻孔を突き抜け、ようやく状況を理解した。

卒業式でゲボ吐かれた。
さっきまで「大丈夫?」と声をかけようと思っていたが、その場には「確実に大丈夫じゃない人間」が少なくとも二人いた。

ゲボを吐かれた私は、真っ白な何もない空間に飛ばされたような心地になり、ただただ絶句していた。
数人の先生がすぐに駆け寄ってきた。大量のキッチンペーパーと抗菌スプレーで汚物を処理する姿は本当にヒーローそのものだった。吐いた本人はうなだれており、車いすのようなもので運ばれていった。私は汚物まみれになったブレザーを先生のうちの一人に渡した。目に見える汚物が処理されると、騒然とする体育館をよそに卒業式が再開した。生徒呼名の続きからだったが、私をはじめとする事故現場周辺の住民はそれどころではなかった。

残り香が尋常ではなかったのだ。
汚物自体は先生達が片付けたものの、今にももらってしまいそうな極限の状態が続いた。惨劇を繰り返してはならない、その一心で耐え抜いた。

生徒呼名の順番は私が所属する5組まで回ってきた。そこで気が付いた。ブレザーがない。さっき先生に渡してしまった。私の学校のブレザーは紺だった。しかも濃い。ほぼ青だ。ブレザーを渡してしまった私は真っ白なYシャツだったため、上からみたら最低のスイミーが完成してしまっていた。真っ白なYシャツのまま起立し、校長に一礼することほど滑稽なことはない。「さっきゲボ吐かれたのは自分です!」と大声で叫ぶようなものだ。

迫ってくる順番。どうしようかと悩み続けた。その時、隣のクラスの友人が自分のブレザーを私に回してくれた。

持つべきものは友とブレザーである。
その後は残り香に耐えながらなんとか式を終えることができた。

教室に戻ると、話題は事件でもちきりだった。あの時の状況を丁寧に描写するもの、あの時の私の様子を説明するもの、とにかく盛り上がっており、みんなが笑っていた。多くの者が笑いをとる中、私もあの時の嘔吐を表現するフレーズを思いつき、一番笑いがとれそうな時を待っていた。一通り、皆がそれぞれの視点からの嘔吐事件を語り終わった後、私は「ここしかない」と思い、言い放った。

「ほんとファイナルフラッシュ勘弁してほしいわー」。
間取りで言うとワンルームくらいの静寂があってからの爆笑だな。そんな私の希望的観測は見事に裏切られた。ワンルームだった静寂は2LDK、3LDKと大きくなっていき、最終的にはアメリカの牧場ほどになっていた。

卒業式の数日後、学校から電話がかかってきた。ブレザーを洗濯をしたが受け取りに来るか、という旨の電話だった。
「捨てといてください。」
そういって受話器を置いた。

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