「部活」から学んだこと

#部活の思い出  というお題を見つけた。

自分は所属してきた、

サッカー部と水泳部にどんな思い出があるだろうと振り返った。

明るいことは何もなかった。

気合・根性論の顧問、めきめきと上達する同級生、自分よりも優秀な後輩。

あげればきりがない。


しかし、これらは周りが悪いわけではない。

自分の考え方の問題だったんだと、最近気づくことができた。

自分は幼いころから、周りの様子を観察することが好きだった。

道端の看板の裏側はどうなっているんだろうと覗き込んだり、

なにかを模写することも大好きだった。


そんな自分のまま育っていく中で、

他人の様子・変化には敏感なのに、

自分の様子・変化に鈍感な自分が出来上がっていった。

褒められても、まだあいつよりも劣っている、

練習をしていても、自分は本当にできないやつだなと、

誰よりも自分を非難してきたのは、自分だった。


団体種目でも、個人種目でも、厳しいコーチのもとで、

同級生たちと切磋琢磨をしてきた。

帰り道に笑い合いながら帰った記憶もある。

しかし、それを覆い隠すように「できなかった自分」という結果がいる。


この呪縛を解いてくれたのは、大学生になってからのある日、

知り合いの方にフットサルに入ってくれないかと頼まれた。

遊びでやってるだけやから!」と説得され、

渋々参加することとなった。


そこでは、勝ち負けにこだわらず、上手下手にもこだわらず、

全力で楽しんでいるだけの人たちの姿があった。

そこに混じり、下手でも笑って「次!次!」と言ってもらえ、

自分の中では何気なく出したパスに「いいねぇ!!!」と

声をかけてくれた。


楽しかった。今までにないくらい楽しかった。


年の離れた兄がサッカーチームに入り、まだ幼い私は、グラウンドの隅で、

ボールを蹴って遊んでいた。その頃を思い出した。

スポーツ=部活」という考えを持ってしまっていた私は、

大学に入ってからは、運動を避けていた。

できない自分や、周囲に迷惑しているのではと考えてしまうからだ。


しかし、そうじゃないことを学んだ。


スポーツを楽しむのに、上手も下手もない。

勝ち負けにこだわらなくていい。

その中でできないことができるようになったら、より楽しめるようになる。

だからといって、上手くなることは義務じゃない。

できなくてもいい楽しんだらいい。


このことを伝えてくれる大人が私にはいなかった。

もし、偶然でもこの文章を読んだ人がいるなら、

子どもたちに伝えてあげてほしい。

楽しむだけでいいのだと。



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