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「ままならないから私とあなた」を読んで思うこと

あなたが見ている世界は、ほんとうに「正しい」世界なの?
天才少女の薫と平凡な雪子――二人の友情の行方は

天才少女と呼ばれ、成長に従い無駄なことを切り捨てていく薫と、無駄なものにこそ人のあたたかみが宿ると考える雪子。すれ違う友情と人生の行方を描く表題作。
(Amazonの商品紹介原文まま)

朝井リョウ氏の『ままならないから私とあなた』を読んだので感想を書いていこうと思う。めっちゃ面白かったので、みんな読んでみるといいと思う。掲載順とは異なるが、個人的には「レンタル世界」よりもこちらを先に読むといいと思う。

私が捉えた大筋

世界というのは畢竟、あなたが認識しているものに過ぎない。それゆえ本来世界とは一つの大きなものではなく人の数だけ存在していると言える。その世界観が大きく異なりながらも、長年友人として付き合っている二人の女性の小学生から20代中盤までの話(と、そこから30年先の話)

薫のいう無駄を切り捨てていく世界観にも、雪子のいう無駄なものにこそ価値があるという世界観にも同意できて、「あぁ、これは答え出ないしそれぞれの世界観を尊重しましょうねって話に落ち着くわな。」と思えるのは私が年齢を重ねたからというよりも、作者の誘導がうまいからかもしれない。

興味深かった点

興味深かったのは2052年の登場人物が地の文で語る以下の認識だ。

時代が巡るということは、一つの大きな世界が丸ごと生まれ変わるというわけではない。一つの大きな世界の中に、価値観が異なる小さな世界が一つずつ増えていくということだ。

技術の進歩や、人間の認識の変化によって、世界の捉え方の多様性が許容される時代がくるのではないだろうか。

加筆された2052年を除くと、最後になる2022年で薫と雪子がぶつかったのはまさに上記の認識がないこと起因しているのではないだろうか。

雪子の目的を自分の尺度で量ってしまったばかりに、手助けするつもりが邪魔をしてしまう薫。合理的でないものを大切にしている自分を許容して欲しい、と言いつつ自分の世界観から外れる合理的な人生を許容できない雪子

ゼロ年代以前には、世界は人それぞれだよというのはあまり聞かれる話ではなかった。大多数が同じCDを買ったり、同じようなファッションをしたり同じ幸福の尺度で世界をみていた。
ゼロ年代以降技術の革新によって様々な考えに触れられうようになって、徐々に世界は人それぞれだと気づく人が出てきたように感じている。
もっと先の未来では、世界観の多様性は当たり前のように許容されていると思うんだけど、現代は違う。まだまだ「it's a smlle world」的な世界観に囚われて、薫や雪子のような状態になってしまい自分と離れた尺度を持った人と友人関係を築くことは難しい。

言い換えると、多様性の許容においては現代は過渡期なんだと思う。2052年には世界観を互いに尊重しながら、茶をしばいている薫と雪子がいることを切に願っている。

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