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【ネタバレ有】映画『ラストマイル』の感想

先日、映画『ラストマイル』を見てきたので感想などを書いてみようと思います。ネタバレ無でいい感じに書くことが出来ないので、思いっきりネタバレしています。未鑑賞の方はご注意ください。

前提

『アンナチュラル』と『MIU404』を、アマプラや数年前の年始の一挙放送で鑑賞済みなので、それらの登場人物については大体わかってる感じです。

あらすじ

Amazonっぽい企業から出荷された商品が爆弾とすり替えられるテロ事件が発生し、その倉庫のセンター長とマネージャーが解決に挑む物語です。

詳細は公式サイトが詳しいです。

映画の感想

全体的な感想

爆発シーンが非常に重要で、映画館で観ることで大音量で手に汗握る展開を楽しめました。そういった意味で、この映画は映画館で観るのがベストだと思います。

「集配センターでの爆発と最後の爆発で、衝撃から爆発までの時間に差がありすぎない?」とか、「センター長が人事データベースの物理削除をできるのはおかしくない?」、「データを消すときに、そんな簡単にファイルを消せるようなUIは普通実装しないよね?」など、いくつか疑問に感じる点はありましたが、それでも全体としては十分楽しむことができました。

さらに、この映画はエンターテインメントでありながらも、現代の問題を反映し、観客に考える余地を与える構成を取っている点が良かったです。楽しさももちろん大事ですが、複雑なテーマを面白さで包み込み、観客に届けることもエンターテインメントの重要な役割だと私は思っています。そういった意味でも、この映画は観る価値があると感じました。

シェアード・ユニバース

「もっと『アンナチュラル』や『MIU404』のキャラクターとの絡みを見せてほしい!」と思ったりもしましたが、メインは当然『ラストマイル』のキャストなので、今回のようにちょっと長めのカメオ出演程度で良かったのかもしれませんね。

『アンナチュラル』や『MIU404』の世界が今も続いているのを見ることができただけで、視聴者としては十分満足です。

法医解剖医が主人公の『アンナチュラル』や警察官が主人公の『MIU404』と比べると、グローバル企業のマネージャークラスが主人公の『ラストマイル』は、会社員という意味では私に近く、お仕事ドラマとして共感できるシーンも多々ありました。

疲弊する末端について

ラストマイル(ラストワンマイル)はその言葉の通り、ユーザーにモノ・サービスが到達する最後の接点を指します。物流で言うと玄関口まで届けてくれる配達員の方が担う区間ですね。

Xのポストで『ラストマイル』は「疲弊する末端」を描いているという話がありました。さて、その「疲弊する末端」とは誰で、どのように描かれていたのでしょうか?

佐野親子が強すぎる

私は、動画で物語を消費することが少ないので、正確な評価かは分かりませんが、佐野親子は演技力高すぎではないだろうか。存在感が強すぎです。もちろんいい意味で。火野正平さんは本当に長年配達員をしている人のように見えましたし、親子のやり取りから滲み出る愛と悲哀が非常に味わい深いです。

そういった関係からも、多くの鑑賞者がこの映画で描かれている「疲弊する末端」と聞いて最初に思い浮かべるのが、佐野親子ではないでしょうか。個人的には、佐野(父)が雨の中、商品を受け取ってもらえないシーンは観ていてとても辛かったです。

この映画を観た後に一度宅配の荷物を受け取りましたが、自然と以前よりも配達員の方に丁寧に対応している自分がいました。普段からできるだけ丁寧に接しているつもりでしたが、何度も受け取るうちに、人というより「配達員」という役割で見てしまっていたのかもしれません。

これを覆してくれたのは、佐野親子を演じたお二人の演技と、脚本の力だと思います。

山崎佑の絶望

デリファスは明らかにAmazonをモデルにした企業なので、グローバル企業のマネージャー職にどれほどのプレッシャーがかかるのか、ローカル企業の平社員である私には正直なところよくわかりません。

ただ、作中で描かれている内容だけでも、倉庫の稼働率が常にモニタリングされていて70%を下回ると出荷が遅延し始めるとか、数万人が働く企業の株価の下落や、年間何百億円単位の損失が自分の決定にかかってるとか、800人以上が務める設備の管理責任者を負ったりという状況は普通に考えて、責任に圧し潰されそうなものです。

さらに、エレナが言っていたように、本人の状態に関わらず、同僚に対しては常に笑顔を絶やさず、自信にあふれた態度で「正解」とされる回答を出し続けなければ、仕事ができない奴だとか、信頼されずに仕事が回ってこない、なんてことになってしまう。自分がどう見られているかを常に意識し続けなければならない、こういった世界には多くの人が耐えられないのではないかと思います。気が休まる暇がないですからね。(この辺りにはローカル平社員の私の妄想もちょっと入ってしまっていますが。)

作中で梨本孔が言っているように、デリファスはJTCと比べれば「天国のような環境」だそうなので、いわゆるブラック企業とは異なります。しかし、ハイパフォーマンスを常に求められる環境は、各個人が「自分らしくのびのび働ける」という状況とは正反対で、労働者を企業が求める人格(メンタルがタフで、常に笑顔で自信に満ち溢れ、ミッションの達成が判断基準の根底にある)に押し込め、個人の人格を軽視する、いわば型にはまっていないと昇進できない環境なのではないかと想像します。

そんな環境で「疲弊する末端」と言えば真っ先に出てくるのは事の発端にもなっている山崎佑でしょう。詳しくは描かれていないので完全な妄想なのですが、婚約者に言っていたように「no limit」とか「customer centric」と言ったマジックワードで自分を洗脳しようとしたけど、失敗。上記のように弱音を吐けない環境から追い詰められ「バカなことをした」のではないかと思います。

舟渡エレナの憂鬱

同じく、舟渡エレナも「疲弊する末端」として描かれているのではないかと思います。彼女は上記で書いたような企業の求める人格にハマった人間として登場します。少し不安定なところを見せつつも、会社の株価のために警察への報告を常識的な時間に遅らせたり、配送を続けるためにX線検査機を独断で購入したり、被害を出したくない警察と、配送を続けたい企業との間で折衷案を考えたりと、企業が求める人物像を演じています。

以前、何かの本で頭の良い人の知能の多くは言い訳に使われているというのを見たことがあります。劇中、舟渡エレナが「Customer Centric」という社是の解釈をその場その場で都合よく解釈してみせるシーンがありましたが、これこそ頭のいい人の一つの特徴なんじゃないかと個人的には感心しました。

あるワードや事象に対する見方には複数のアプローチがありますが、普通の人は多角的に考えることを日常的に行っていません。そのため、「Customer Centric」と言えば、まず「目の前のお客様の利益」に目が行くものです。

しかし、頭の良い人は多角的なものの見方を持っており、利益とは何かという定義を変えたり、直近の利益か将来的な利益かという時間軸を変更したり、一人のお客様か、お客様全体かというミクロとマクロの視点を使い分けたりして、都合の良い視点を選ぶことができます。そして、その視点を納得できる解釈に落とし込むことで、集団や自身をコントロールしているのではないかと考えています。

そういった頭の良い人の処世術や、特性があのシーンに出てるなぁなんて思ってみていました。

そんな舟渡エレナですが、後半では企業が求める人格を脱ぎ捨てます。この部分では、演じた満島ひかりさんの演技力も素晴らしかったのだと思いますが、脱ぎ捨てた後は、本当に憑き物が落ちたという言葉がぴったりで同じ人なのに受ける印象が丸別人のようでした。最後の寝顔なんて、最高に無防備で良かったですよね。

上席の人々にも疲弊が

では、船渡エレナの上席の人たちはどうでしょうか?まず思い浮かぶのは五十嵐です。彼はこの映画の最後まで、企業が求める人格を演じ続けた人物だと私は思っています。

彼が言った「俺に何ができたっていうんだ?」という台詞には、ハイパフォーマンスを宿命付けらえた組織の中で生きる人の悲哀が感じられ、非常に心に響きました。彼もそう言い聞かせなければ、自分を保つことができない状態だったのではないでしょうか。そういう意味では、彼もまた「疲弊する末端」と言えるのかもしれません。

そして、サラや劇中には登場していませんが、デリファスの社長も、ある意味で「疲弊する末端」なのではないでしょうか。

なぜなら、以前読んだ『ザ・ゴール2』という本で印象に残ったシーンに、主人公の会社の取締役が「取締役は株主のために求められた役割を果たしているだけで、その株を多く持っているのは年金を運用している会社だ。そして、その年金は一般市民のものだ」というシーンがあります。このシーンは大きなシステムの中では会社のトップでさえ顧客や、株主に求められる役割を果たしているに過ぎないということが書かれていて私は衝撃を受けました。

上記の一節を読んだとき、私は結局、私たち全員が大きなシステムに取り込まれ、すべての人がそのシステムの「末端であり中核である」のではないかと感じました。

なので、『ラストマイル』の描いた末端というのは、それぞれの登場人物であり、観客も含めた我々すべてなんじゃないかと思うわけです。

仕組みは悪なのか?

世界はどんどん良くなっている

話は変わりますが、昔流行った『FACTFULNESS』という本に、「世界は完全に良くなっているわけではないが、どんどん良くなっている」という記載がありました。以前は医療を受けられなかった地域に医療が提供されるようになったり、多くの場所で水や電気のインフラが整備されたり、遠く離れた家族と無料でビデオ通話ができるようになったりしています。これらの多くは、悲しい死や不便・不快な状況を改善したいという善意から生まれたものです。「善意」という言葉が少し抹香臭く感じるなら、「ポジティブな発想」と言い換えてもいいかもしれません。

なぜこんな話をしているかというと、大抵のものはポジティブな発想から生まれているからです。例えば、誰かを傷つけるために生まれた武器でさえ、自分の大切な家族を守るためというポジティブな理由から生まれたと考えることができます。

貨幣制度もその一例です。物々交換では不便が多いため、貨幣制度が生まれました。その延長には資本主義や国家、株式会社などが存在しますが、これらもすべて、より良くあるため、より良くするために生まれたものだと思います。言い換えれば、「現代社会の仕組み」は、すべて社会や人々の生活をより良くするために生まれたものだと私は考えています。

いつの間にか「仕組み」が崇められている

しかし、この「社会の仕組み」は、長年の篩にかけられ、洗練されるうちに、力を持ちすぎてしまったのではないでしょうか。その結果、私たちは「より良くするため」に行動するよりも、「社会の仕組み」に従うために行動するようになってしまったのではないかと思います。方針が示されると、細かいことを考えなくて済むので、それに従いたくなるのが人間の性ですからね。(パターンを見出して思考をショートカットしようとするのは、人間の本能だと誰かも言っていました。)

より良くすることよりも、より仕組みに従うことが重視される例として、その人の志向よりも、お金を稼げるか否かが就職の際に重要視されたり、家族を守るために、家族を蔑ろにして働いたり。自分の生活を守るために、自分の体や心を蔑ろにしたりetc…があるんじゃないかと思います。

より良くしよう、より良くあろう、自分や家族を守りたい、健やかに過ごして欲しいというポジティブな願いから生まれた「現代社会の仕組み」が、いつの間にか絶対的なルールになって、それを妄信することで色々な不幸が生まれているというのは何とも皮肉なものだと思ったりします。

『ラストマイル』の悪役

『ラストマイル』には明確な悪役はいませんが、どうしても悪役を作るとすれば、犯人の筧でもなく、筧の婚約者に「何もしなかった」ディーン・フジオカ演じる五十嵐でもなく、デリファスそのものでもなく、私たちが上記で述べた「現代社会の仕組み」と、それを妄信する我々自身ではないかと考えました。

ただ、その仕組みは単純に悪というわけではありません。むしろ、その出発点は善であり、その仕組みを絶対視するようになったのは、我々の本能によるものだということ、そして、その仕組みを構成しているのは、私たち一人ひとりが「末端であり中核である」という点が、問題を理解するのを難しくしているのかもしれません。

エンターテインメントとして楽しめる作品でありながら、こうした問題を提起しているという意味で、この作品は非常に優れたものだと思いました。

座席の感想

映画とは関係ないのですが、数年に1回程度しか映画は観ないので贅沢してみようと思いTOHOプレミアムシアターのプレミアラグジュアリーシートで鑑賞してみました。

本当に素晴らしい座席でした。シートもリクライニングするだけではなくめっちゃフカフカで座ってて疲れないですし、前の段との差が2段分ついているので、顔と画面の間に入ってくるものがなにもなくめちゃくちゃ見やすいですし、横の席との間に衝立があるので、左右の人を気にする必要もなく、映画の世界に確り浸ることが出来ました。お値段は5,000円と映画のチケットよりも高いですが、価値はあったなと思います。

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