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橘玲著『DD(どっちもどっち)論 「解決できない問題」には理由がある』を読んで思ったことなど。

ダニエル・カーネマンが『ファスト&スロー』で述べていたように、人間はファスト思考とスロー思考の両方を持っています。いわゆる直感やよく考えずにパッと思いつく認知的負荷の低い思考方法をファスト思考、論理を組み立ててじっくり吟味する認知的負荷の高い思考方法をスロー思考と呼ぶと私は理解しています。

上記のように、スロー思考は負荷が高いため、人は基本的にファスト思考を使って生活しています。我々が日常生活で直面する問題や意思決定のほとんどは、これまでの経験から答えが導けるものばかりですからね。

完全に余談ですが、LLM(AI)はノリと勢いでそれっぽい文章を生成しているだけだと言われていますが、ファスト思考は過去の経験などからそれらしい回答を導き出しているという意味で、AIとそれほど変わらないのではないかと最近考えています。(現実世界で多くの経験を積んでいる分、人間の方が精度は高いと思いますが。)

世の中にあふれる解決されていない問題には、解決されていないだけの理由があります。掘れば掘るほど善悪や正誤を決めることができなくなります。しかも、SNSで誰もが発言できるようになった現代では、ある一つの出来事について様々な角度から関係者がそれぞれのストーリーを語るため、情報発信者がある程度絞られていた昔と比べて、世間一般で言う正解や正義も決めにくくなっています。そこで多くの問題がDD論、つまり「どっちもどっちだよね」という状態になる、というのが本書『DD(どっちもどっち)論』の主な主張だと理解しています。

ただ、実際のところ「どっちもどっちだよね」とはなっておらず、最近でも多くの対立が見られます。例えばこの1週間だけでも「男性と女性」、「ホワイトワーカーとブルーワーカー」、「若年層と老年層」、「AI推進派と否定派」などの対立をXで見かけました。

多くの人はファスト思考を用いて、自分が理解しやすいストーリーで問題を解釈し、早々に自身の立場を決めてしまい、そこから先は自分の決定を守るために論理武装しているような印象を受けます。

こうしてインスタントに立場を決めるのは、立場を決めないことが問題を保留していることになり認知上の負荷になり不快であることと、一つの話題が消化される速度が速くなったため、理解を深めるのに十分な時間を取っていると話題が変わってしまうこと、また、日常生活に忙殺され、複雑な問題を理解するだけの時間を取る余裕がないことの3つが関係しているのではないかと思います。

そう考えると、「解決できない問題」はDD論になるという本書の主張は、当面の間は一部の余裕のある人だけにしか適用されないのではないかと思います。私を含む多くの人はDD論に行きつく前に、立場を決めて相手の話を受け入れられなくなるという気がしています。

ただ、それでもこの本を読んで「多くの解決しない問題には答えが出せない」というのを認識しておくことは、自分が不要な対立を煽る側にならないためには必要なことだと思ったりしました。


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