価値について、もしくはソシャゲに無駄な時間を使っているという指摘に対する言い訳

ゲームをしていると時間を無駄にしているとの指摘を受けると聞いたことがある(私自身は言われたことはないが)。

これについてひどく当然なことを言おうと思う。

時間を無駄にしていると指摘するためには、有意義な時間を使い方というのを定義し、指摘した時間の過ごし方がそこから外れていると判断できなくてなくてはならない。

有意義な時間の使い方というのは時間を過ごす主体(つまりここでは時間を無駄にしていると指摘されている人)の人生において達成したい目標にプラスになることをしている時間だと考えられる。

突然だが、人間の人生に意味などない。では意味のない人生をどう過ごすか。どんな目標を持つか。それについては各個人しか定める事はできない、何があろうと自分の人生に責任を持てるのは自分だけだからだ

そこから、主体の人生における有意義な時間の使い方を定義できるのは、その主体以外にはいないと言うことができる

さて、何かをやっている時に時間を無駄にしていると指摘する他人がいたとしよう。本人しか決められない時間の価値について何かしら指摘する人がいるとすれば、その他人は恐ろしく無責任に適当なことを言う人か、自分の狭量な世界観を押し付けてくる人か、自分が何を言っているか理解していない人に違いない。ざっくり言うとそんなもんは無視しておけば良いのだ。

あと、もう一個いうと、何がどうプラスになるかについて、この世は予測不可能性の塊なので人間は正しく評価することができない。そう言った意味でも結局他人の言葉は無視するしかないのだ。

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