傷つきやすさ格差社会の到来

ナンシーちゃむです。昔書いた記事のお引越し②.


図書館で本を読んだりと、優雅に過ごしております。今日読んだ1冊から考えたお話。
傷つきやすさを題材にした10年前くらいに出版された新書だったんですが。(タイトルを覚えていないという…無念…→思い出しました笑 『傷つくのがこわい(2005 文藝春秋 根本橘夫)』)

その本の中では、傷つきやすい若者が増えてきた背景を説明したうえで、

核家族化により子育ての平準化機能が働かなくなった
⇒① マニュアル頼みの子育てをする親が増えた
→この育て方で育った子は「人並みになる」ことへの焦燥感が強く、傷つきやすい人へ
⇒② ①とは逆に、自分のやりたいように子育てをする親も増えた
→虐待、ネグレクトにつながったという側面もあるが、過度な放任や甘やかしを受けて育つ子たちも増えた。そういった人はむしろ人から言われることをまったく気にしない人へ

といった構造を捉え、若者の傷つきやすさの極端化を指摘していました。

10年前の若者、なので今の30代くらいの人たちのことを指しているんでしょう。
傷つきやすさ故、ニートやひきこもりになる人も…と書いてあって、あーそういう問題がよく叫ばれた時代だったなぁと思い出しました。(就職氷河期世代で、経済的な要因が大きいだろ、と思いつつ)
この本は「昨今増えている傷つきやすい若者にどう向き合うか」というトーンで書かれていて、10年前の会社や職場でそういう悩みを抱える先輩、上司が増えたということも想像に難くないです。
「叱ったら、次の日会社こない奴が出てきた!最近の子は繊細すぎる!」
「そうかと思ったら、全然言うこときかない奴もいるし!最近の若者、どうなってんだ!」 とか。うん、想像できる笑
自分のことを棚にあげると、私の周りの30代の先輩は繊細な人多いと思うし、逆に割と苛烈な人も多いなと。(でも私はそういう人、人間的で好きです)

で、この流れ自体は今でも続いていて、今の20代もそうかなと。
そして今の社会では、傷つきやすさの極端化に加えて、偏在化も起こっているのではないか?とも。
今の30代に比べて、20代は働き方の形態の間口が広くなって、 ITベンチャー起業の波から、NPOなどの企業ではない組織など…
これらの形態には「人の言うことを気にしない人」が集まっているように見えます。(そしてたまに入ってくる「傷つきやすい人」はすごく傷つきながらやっている笑)
もちろん、いまだにいわゆる企業に就職する間口もあって、そこには「傷つきやすい人」が相対的に増えているという印象。
まぁほとんどの親は子供をしっかり育てようとは思う訳で、そうなるとマニュアル化しやすい。だからマニュアル化のもと育っている人は増えているということもあるのかな。

あと、20代前半と後半でも状況が変わっている気もします。 私アラサーなので、20代前半の子と付き合うとたまにびっくりするくらい自由だな、と思うことがあります。
ユーチューバーが10代の憧れの職業、なんていうこともあり、「人の言うことを気にしない方がよい、自分が心からやりたいと思うことをやろう」という価値観が強まっていて、どちらかというとそっちが規範になってきている気もしますね。

ちなみに私は圧倒的に傷つきやすい人間ですが笑、学生時代に社会的起業のムーブメントが強かったので、「自分が心からやりたいと思うことを」という規範が強く、板挟みになって苦しいなと思っています笑

傷つきやすいにせよ、図太いにせよ、極端であることは個人にとってはあまりよいとは思えないというか…
極端さ故の高い能力もあると思いますが、本人が最終的には苦しくなるかと。 その二者の偏在化は、対話の機会が少なくなるという意味でさらに極端化を引き起こすのではということを危惧した今日の午後でした。


お読みいただきありがとうございました😊🙌