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不揃いなお月見だんご

食べる、ということに人一倍執着があるようだ。
これまで、料理が好きなのは食いしん坊だから、そう思ってきたが、冷静に振り返ってみるとどうやらそう単純な話でもない。


1. 食べることへの興味

子供の頃、父に頼み込んで熱帯魚を買ってもらった。友達の家で見た熱帯魚が餌を食べる姿が面白くて、ずっと見ていたかったのだ。
こういう時は絶対に母ではなくて父。
次女にはめっぽう甘い。

愛犬が美味しそうにいつものカリカリを食べる姿でさえ、ずっと見ていて面白い。全く飽きない。
生き物が、嬉しそうに食べている姿を、ずっと見ていたいのだ。

ヒトってそういうものだろうと思っていたのだけれど、意外とそうではないらしい。興味の矛先が、明らかに”食”に偏っている。

そして誰かを想う時、誰かを思い出す時にも、そこにあった食べ物が一緒に心の中にある。
それはもう、食べ物の記憶なのか、想う人の記憶なのかわからない程だから、これを深掘りしてみる価値はありそうだ。
私の中に残る、大切にしている沢山のごはんと記憶。

2. 中秋の名月

朧月を見ると、私はいつも母を想う。
「今日はお月さん泣いてるから明日は雨降るなぁ」といって、おぼろ月夜を歌い出す母を。

そんな母から先日LINEが送られてきた。
「昨日は中秋の名月やったけど、今日は満月🌕」
実家の上でぽつんと輝く満月を捉えた写真が添えられている。

しまったーお月見やり損ねた!
やる気満々で準備しておいた団子粉と白玉粉を両手に「これどーするよ」と立ち尽くす。なんなら棚の奥に去年買った白玉粉まである。
去年も忙しかったんかい?

私の母はいつも忙しそうだった。
パートという名のフルタイム労働をしながら、父方の祖父母の世話と家事育児に追われる毎日だったから、それはそれは大変だったと思う。
それでも、十五夜にはお団子を作り、ススキを飾っていかにも”お月見”という雰囲気のあることをやってくれた。

パートから帰宅する母を待って祖父母の用事を終えたら、冷房が効かない赤い軽自動車に2人で乗り込み、ススキを探しに出かける。
私は窓を開けて後部座席から周りを見渡し、ススキが雑草状態で生えている場所を一生懸命に探す。そしてススキらしきものを見つけたら車を止め、イケてるススキかどうかチェックするのだ。

去年あった場所に今年も私たち親子のお眼鏡に叶うススキがあるとは限らないから、暗くなるまでそこらじゅう探したこともあった。
母が作ってくれた出来立てのみたらし団子をつまみ食いしたい気持ちを堪えつつ、そこらへんで頂戴してきたススキをお月様にお供えする。
お供え場所は、2階のベランダの前の廊下。
「お月様もう食べた?」
ベランダの窓から月を覗き込み、お月様の様子を確認してお団子を持ち去る。
待ち時間およそ30秒ほど。

今考えると、なんじゃそら?というこの行事がとても好きだった。

母は今、一人で月を見ていたんだなぁ。お団子は食べただろうか。
今度は私が、母に月見団子を作って食べさせてあげたくなった。

3. 不揃いなお月見だんご

1日遅れの中秋の名月を見上げてみる。
あいにく横浜の満月は朧月だった。
「明日、雨降るなぁ。お月さま泣いてるもん」
母の十八番は私の十八番になっている。本当に雨が降るかというと実はそうでもないが、とかく言いたいだけである。

お月見団子を作ることも、皆で十五夜のお月様を見ることも、ころっと忘れていたことを子ども達に詫びたが、給食で月見汁なるものを食べて最高に美味しかった。と気にも留めていない様子だった。

よかったやん。給食に感謝である。

2人とも白玉団子のもちもち沼にハマったようなので、こちらは白玉フルーツポンチで給食の月見汁と勝負することにした。
多少十五夜は過ぎたが、月より団子だ。

フルーツポンチを作ると聞いて大喜びする子供たち。
粘土遊びの感覚で喜ぶ娘と一緒に、白玉を丸めて茹でる。
決して他人には出せない歪な形の白玉フルーツポンチが出来上がった。
十五夜から数日経ち、欠け始めたお月様にお供えするには丸くない白玉も悪くはない。

フルーツポンチは冷える暇もなく、まだ月も出ない時刻に3人で白玉を頬張り、
「一日中お菓子作りなんかして、穏やかに暮らしたい。」
そんな想いを会社の同僚に打ち明けた日をふと思い出した。

当然、仕事上のキャラしか知らない同僚は間に受けることも背中を押すこともなく、ただ女子力アピールに失敗したイタイ女みたいな空気にだけが流れてその話題はすぐ心にしまった。

もう会計士辞めようと思うんです。
数日前に同じフリーランス会計士の仕事仲間に打ち明けてみた。えーっ、ホワイトな仕事いっぱいあるから紹介しますよ。なんて話になり、なぜか逆をいく展開になる節がある。

そして、あら、そうですか?じゃぁ、
なんて乗っかろうとする懲りない自分がひょっこり顔を出すから、蹴っ飛ばしてやりたい。
20年かけて自分が築いてきた真逆のキャラは、そう簡単に抜けるものではない。
迷える子羊は今日も健在なのだ。

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