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やってみることの大切さについて。

いや~、自分ではわかっているつもりだったんですけど、実際の体感としてまだわかってなかったんだな~と言うのが、今日のこのタイトルです。

まず、やってみること。

それがどれだけ大切か。

私は割合繊細な気質でして、まったく何も予想も立てられないことをいきなりドカンとやるのは苦手です。ほとんどの場合はできません。

でもある程度予測が立てられる状態になると、やってみたい感が強くなります。以前ならここでアクションを起こしていました。

…ですが、最近はそのアクションがどうしても起こせませんでした。

一歩踏み出したい!欲求は強くある!でも踏み出せない…どうしてそういう状態なのかそのときの自分は分かりませんでした。もしも踏み出すのが怖いなら、その踏み出す歩幅を小さく小さくしたらいいことも知っていたし、コケたって別に誰がそのアクションに関わっているわけでもなく迷惑もかけないと知っていた…だけど、できなかった…そのわけが、今日分かったんです。

それは、自分の無意識で「ここまで出来ていないとダメだ」のラインを引いていて、自分のアクションはそのラインを超えられない、またその超えられないのを見たくない、と強く思っていたんだなあと気が付きました。

もともと理想とプライドが変に高いので、そこが足かせになってたんですね。

その私の二の足を踏んでいたときに、最近知り合って友だちくらいの距離感になってきた方とひとつプロジェクトをやってみることになったんです。お互いにそのことをするのはじめてだったし、その方の勢いに私も乗るようにしてプロジェクトを遂行していきました。なんとなく流れの中で生まれたものでした。

それを客観的に見なければならないとき、私の手は止まっていました。。やっぱり自分の稚拙さを見たくなかったんだと思います。でも相手方のいることだし、やるときめたんだから!とその出来上がったものを見たんです。

やっぱり思った通り、自分の稚拙さが出てるなあとは思ったのですが、これはこれで今の自分でいっかーと思えたんです。それは共同制作者のその方のおかげだと思うし、ひとりではたどり着けなかった地点なので、本当に本当に感謝です。

そして、今の「これでよし」、次は「こうしてみよう」という状況になったのも、「やってみた」からわかったことでした。やってみることの意義ってやっぱりすんごい大きいんだな…!!とすごく実感したんです。

ここで、私のこれからのアクションを起こしていくための小さな好循環のはじまりかな、と感じられるような出来事でした。

先日書いた通り、自分は若かりし日に思い描いていたようなかっこいい理想の人には残念ながら程遠いけれど、この地点からはじまる何かはとてもおもしろくなると確信しているので、この種を愛でながら育てていきたいです。

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