「この世に絶対があるとすれば、光速度は不変であるということだ。適当に相対性理論を語る」

「おいおい、1分遅刻だぞ」

「ん? ぼくの時計ではちょうどだぞ?」

「だったら、その時計が遅れているんだよ。ぼくはくる前に調整したばかりだから間違っているはずがない」

「いや、ぼくもでかける前に調整したんだ。間違っていないよ」

「おいおい、じゃあ、なんで1分遅れているんだ」

「ああそうか」

「なんだい」

「ちょっと、光速度に達してここにきたから、その分 ズレ たんだな」

「は?」

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相対性理論。名前だけは聞いたことがあるかもしれないですし、いろんなところにすごくいろいろ書いているので、書くこともないと思うんですが、適当に書くことにより届く人もいるかもしれないかもしれないので買いてみる。

いやね、私。文系じゃないですか? 正確にいうと理系ができない系で消極的に理系じゃないとすると文系になるのかな系じゃないですか?

なんですが、大学の時に相対性理論と量子論に出会って、

まじか!!!!!

と思ったわけですよ。

いやね、文系とか文化系諸々あるんですが、科学が世界をこう捉えているのか!! という衝撃。

科学が行き届かない域がある、のかもしれないが、それは科学をきちんと理解した上でないと、なんと矮小な言葉なのかと思ったわけです。

ぶっちゃけ主観による世界解釈って極論、いろんな示唆に飛んでいたとしても、それぞれの主観だからなーーーーとかに帰結すると思うんですが、科学は事実として、厳然とした事象として存在するということ。

客観的な観測事実として、そうであるーーということが、脳を抉るわけですよ。

SFじみた話だと思っていたことが、理論的に考えると そう であるということ。

で、相対性理論のなにがすごいって、

もう光。光。秒速約30万km。めっちゃ早い。早い上に、不変。

光速度不変。

不変ってどういうことだよ。ということを説明すると、もうだれにとっても、光速度は約30万kmということ。

だれにとっても、ってどういうことやねん。っていうと。

Aさんが車に乗って時速100キロで走っているとする。

停止した状態でBさんの速度を測ったら時速100km。しかし、もし、Bさんが時速50kmの車に乗っている場合、Aさんの速度をどう感じるだろうか。

まぁAさんは100キロではしってるっちゃいるけど、Bさん的には100−50kmの速度くらいに感じられる。

なんか走っている電車が2台並走していると、あれ?これ止まってる?とか錯覚するあれ。慣性的なあれ。

しかし、光の場合はちゃう。

50kmだとなんかめっちゃ誤差なので、秒速15万キロの車にのっていたとする。そこから光をみた場合、秒速30kmの光の速度は

30ー15万キロ=15万キロ/秒 

となるかというと! ならない!!!!!!!!

秒速15万キロでも20万キロでも、どんな速度で走っている状態でも、光を観測すると、約30万キロ/秒の速度に見える!!!

なぜか!!! 光だから!!!!

※これを調べたのが、マイケルソン・モーリーの実験。
 地球の自転方向と逆方向で、光の速度を測ったら違いが出なかった(普通に考えると、自転方向の方が自転速度分プラスされるので早く、逆方向は逆向きの力がかかるので遅くなる)


わかったよ、よくわからないけど、ひかりは変わらないんな。ということだが、そこだけで終わらない!!!

たとえば!! さっきの15万キロ/秒の車に乗ったAと、とまったままのBがいるとする。2人が光を観測した場合

普通だとすると、Aは車の速さ分、光を遅く感じて、Bは普通に感じる。

が、先ほどの光速度不変の法則が働くと、

AもBも、どっちも光の速さは変わらない!!!!!

は? と思うかもしれないが変わらない。

1秒間に必ず約30万キロひかりは進む。それはめっちゃ早い車に乗っているAも、とまっているBにとっても同じ。

いやでも、現実世界では、光の速さは変わらないんじゃん。

なにがかわるのか!!!!

観測者の時間の流れが変わる!!!!!!!!!!!!!!!!

1秒間に30万kmが固定され、それ以外が変動する!!!!

そのため、AとBの間で、1秒間というものに差が生じる。

これが1秒間ではなく、もっと長く、年単位とかになるとよく聞くウラシマ効果というものになる。

超高速のロケットの中で過ごした1年は、とまったまま生活している1年よりもずっと長い(というよりも乖離が生じる)


どういうことやねん! と思うかもしれないが、ここで覆されたのは

絶対時間と絶対空間というがいねん。それまで1年、1秒はだれにもどこにとっても1年で1秒だったが、相対性理論のもとではあくまで、光を基準として、それぞれが相対的に時間が流れるという理屈。

あーなんか楽しい時間が早くてつまんない時間が、というたとえがよくでるけど、わかりやすいけど、誤解しやすい!

そういう主観的なことではなく、客観として、時間経過が相対的になるという事実が相対性理論。

もうね。普通に、震えない?

いまそこにある時間も空間も固定じゃなくて、光を基準とした相対。

しかも、光が基準となり、それを超えることができないという壁。

光と同速度になった時、つまり光が進むことができなくなった時には、1秒間に30万キロ進むということができなくなるから、時間が停止する。

光は必ず一定の速度で進む。進まない場合は時間自体が停止する。

そのために光速度に近づくにつれ、観測的に物質は収縮し、質量が増える。(速度というエネルギーが質量に転換され重くなる。重くなるとさらにエネルギーがいるようになり、ということで、無限に光速度に近づくのを邪魔される)

もう、なんか光という厳然たる存在を守るために、いろいろなルールががんじがらめにされている感じ!!!

これが客観的な科学だというのだからおそろしい。。。。!!


そして、ある説明でなるほど。とおもったのは

皆、光速度で未来に向かっている

という説。

みな、4次元空間上において、4次元となる時間軸において、光速度でみらいに向かっている。そのため、その力を3次元空間上の移動に費やすとそのぶん、未来にいくのが遅くなる、というような感じ。まっすぐに突っ走るよりも斜めに向かううと、同じ速度で走っていても、等距離の場合、時間がかかるみたいな。

どういうふうにおもっても、明日は未来。

せっかくならば、勇んで歩きたいものだなぁ。


↑オススメ。

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