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テクノロジーによる神道のアップデート-Shinto4.0

1.神道とはなにか?

「神道」と聞いて、何を思い浮かべるでしょうか。神道とは、仏教伝来よりも前の日本古来の教えで、日本文化の礎となっているものです。

私は、神道の専門家ではありませんが、私なりに感じている神道にまつわるの過去と未来について語ってみたいと思います。

世界中の民族は、自然や宇宙の運行のはたらきに畏怖の念を抱き、そこに神を見て、神話として伝えてきました。日本では、古事記や日本書紀、各地の風土記の中に、その「神話」の世界が描かれています。そこに伝えられる内容が、神道の最初の教科書です。

古来から伝わる、すべてのものに神を見る「八百万の神」という教え。この教えも、日本の神話の中に起源をたどることができます。その神話では、ありとあらゆる自然の働き、火や土や木や風や星々まで、そして、家のことから寝床まで、人間の世界のものまで、神の名が与えられ、その働きを担う存在(神)として描かれているのです。

日本人は宇宙や自然のはたらきのみならず、動物や人、また人工物(人が作ったもの)にも神を見てきました。それは、また、人は誰しも、つまり、あなたもわたしも本来神、であるというの教えとして伝わっています。それは、神であるままに、神として生きる「かんながら」の教えでもあります。

こうした教えが、文化習俗の背景として、あらゆるところに埋め込まれているのが日本文化でもあるのです。これは歴史的事実ともいえると思います(実際には、神仏習合の文化なので、仏の教えも同様に背景にあります)。

2.テクノロジーによる神道のアップデート

現在、資本主義思想の時代、より強いものが弱いものを倒し、ピラミッド構造を形成する支配型の社会構造から、それぞれが自立分散して、自由自在にはたらく分散型社会へとシフトしていっていると私は考えています。

意外なことに、その中にあって、この神道の教えは、古い過去のものとしてではなく、非常に示唆に富んだ現代的な思想としてみえてくる、そのように私はまた考えています。

そのような世界情勢と神道というものが有する特質を鑑み、神道という概念をアップデートし、shinto4.0として、現代の社会に役立つ哲学または概念、さらにはテクノロジーとしての可能性を考えてみたいと常々思っています。

また、現代は、テクノロジーの発展が世界の発展をけん引する時代ともいえるでしょう。ですから、神道の概念のアップデートもまた、テクノロジーによって促されるものと考えます。具体的には、ブロックチェーン、AI、VRなどの最先端テクノロジーを使った進化が可能になっている、または一歩踏み込んで、必然となるという思いがあります。

3. 神道1.0から神道3.0を辿ってきた日本

ここで、神道1.0-4.0という区分を考えてみましたので、それで説明してみたいと思います。

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「神道1.0」は、太古の神代の時代から江戸時代に国学が興るまでの神道にとします。つまり、本居宣長や平田篤胤によって著された国学は、諸外国の文化を認識し、日本の本来の教えである神道というものについて説明をする必要性から生まれたようですが、そうした必要性が起きるまでの、神代の時代(神話の時代)から、江戸期前半までの神道です。

そして、それ以後、蘭学が日本に入ってくることによって、自国というものにある種の客観視が起き、日本神道、国学とは何なのかという中で生まれた神道を、「神道2.0」としてみましょう。明治維新をむかえ、国学から生まれた神道というものを軸に国家神道とし、国家の編成をおこないました。天皇の治める国という教えが生まれてきます。それは皇国の教えとして、明治以降、第二次世界大戦まで、それまでにない高度な神道の体系化が行われました。

具体的には、川面凡児や今泉定助などの多くの神道思想家がうまれました。とくに東京大学文学部古典講習科出身の今泉定助は、高度な神道思想を形成し多くの著作を残しました。なかでも先見の明をもち、量子力学と神道における霊と魂との関係性を説くなど、優れた才を持ち、歴代の首相が教えを請いた人でもあります。また神道ではありませんが、京都大学では京都学派の西田幾多郎を中心に、禅を軸にした哲学が西洋哲学に対抗するものとして、高度に形成されていきました。その時代は、大森荘蔵や岡潔などさまざまな思想家が誕生しましたが、根底において神道の文化も共有した思想家たちであった私は考えます。

また「神道十三派」に代表される、神道の教えをベースにした多くの新たな宗教・教祖として大本教、根本教、黒住教、天理教などが誕生し、今でもその教えが伝えられています。

このように国をあげて、神道とはなにか、神とはなにか、天皇とはなにか、国体とはなにかということが議論された時代を通して高度な発展をみてきた神道でしたが、戦後GHQの宗教政策による「神道指令」や「国家神道の廃止」によって、なかば神道を捨てることを強いられるような事が起きました。それ以後を、「神道3.0」としてみます。過度な精神論による戦争が引き起こした惨劇は神道を土台にしたものと認識されたため、神道の教えは徹底的に捨て去られ、この神道3.0において、七五三や節分は儀礼化しました。ここでは、神道2.0の思想はいったん分断されます。

その後、日本は高度経済成長を遂げ、科学文明の高度な発達を遂げながら、まったく新たな社会へと進化しました。そのなかで、とくに2000年以降、日本人は戦後の呪縛を解かれ、日本とはなにか、国とはなにかを想うということに対しての正常な思考が戻ってきます。皇學館大学の先生からこうした時代の変化について以前教えていただいたことがあります。例えば、国体論などの議論が可能になったり、伊勢神宮の参拝者数が2000年以降急激に伸びたりするなど以前は考えられなかったのであり、神道の教えが見直されてきています。また、若い人たちにはとくに抵抗がなく、日本の文化というものを中心として、神道を純粋にまた新たにとらえる人が増えてきていると私は思います。

4. 日本にとってのオリジナルである神道

バブルの時代はJapan is No.1だったようですが、その後No.1ではなく「オンリーワン」だという時代に切り替わっていき、現代ではピラミッド型組織からティール組織などの分散型組織に向かっています。

日本文化のなかで、オンリーワンのもの、つまり日本固有のものは何なのかというと、それは神道になります。仏教は、インドそして中国、朝鮮を通して日本に伝わったものです。神道というのは、その起源が諸外国に求められるものではなく、日本に各所に伝わっていた風土記のような神話にしか遡ることができません。起源は不明ですが、縄文の時代から日本という国があるとするならば、縄文時代にまで起源をさかのぼることができる神道の教えというものは、日本にとってオリジナルなものです。

これからの時代の私たちは、自動翻訳が誕生することで、一人ひとりが日本の中だけではなく、世界中の人と自在にコミュニケーションできる時代が到来するでしょう。そういったときに、日本人としてのアイデンティティは何なのかということを、必然的に自分たちが求めるようになります。そのときに立ち返るところが、オリジナリティとしての神道であり、その先にある縄文文化です。この視点を持てるようになった今の時代を、「神道3.0」と考えてます。

5. さらなるShinto4.0へ

いまの神道3.0の時代において、あらためて神道というものを客観的にみて、それが今の時代に必要な思想の部分は何かを抜き出し、新たに神道の概念や思想として再構築するときが来ていると考えています。私は、そこに議論の渦を巻き起こしたいと考えています。

また、そのような神道3.0という現代において、私は、さらに「神道4.0」をみています。それは、神道の概念をもとにしたテクノロジーの発展です。れからは、テクノロジーがあらゆるものをけん引する時代とされますが、そのときに、封印されてきたこの神道の教えをベースにすることで、これまでにないテクノロジーの構築が可能だと考えています。

神道には「神器」という考え方があり、さまざまな概念としての器の教えがあります。その概念的な教えをもとにした、まったく新しいテクノロジーの思想であり設計が可能であると考えています(これは、まだ妄想に近い段階ですが・・・)。それが、神道4.0です。電子神殿、電子お守り、電子絵馬、電子祓い、電子神社、電子神主(!)などが既に可能になっていると思います。

これらのShinto 4.0における神道概念のテクノロジーによるアップデートは、AIやブロックチェーン、さらにはVRの活用によって加速します。神道の世界でも、DX(デジタル・トランスフォーメーション)みたいなものがデファクトスタンダードになってくるような世界が迫っています。

さて、いきなりわけのわからないことを言い出したと思われるかもしれませんが、私にとってはとても現実的で、未来に確実に起きるであろうと確信しているビジョンです。

そのためには、神道3.0の神道概念の再構築と精緻化をはかり、神道概念自体の概念構造を一つの意識システムのように再設計し、その回路をつくり、新たな神道プラットフォームとし、その再構築された概念をベースにテクノロジー化を加速させる。

一緒にやりたいと言う方いらっしゃいましたらぜひぜひ。


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