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女性と男性、公平なのか?

こんにちは&はじめまして ななるです。

フランスNetflixで配信中の「エミリー、パリへ行く」。第2話で、更年期を迎えた女性の膣を潤す商品のマーケティングを半ば押し付けられたエミリーが、The vagina(膣)のフランス語訳に驚き「VAGINA IS NOT MALE!」(膣は男性じゃない!)とツイッター投稿するシーンがありました。相方になぜ?と訊ねると、反射的に打てば響く明快さで、

「どうして僕にわかるのさ?」(即答)

フランス人でも苦労するのが、名詞の性別の存在です。必ず性別がある。本は男で、家は女。名詞の性別に何か法則性があったり、ヒントでもあればまだわかりやすいのに、「コレ!」といった決め手はないようで、冠詞をつけて丸ごと覚えるしかありません。名詞に性別を与えるのは、なにもフランス語だけではなく、近隣国の母語もまた同様です。けれど同じ名詞でも男女が同じではないのがまた、言葉の面白さでもあり、学びだすと国の在り方がぼんやりと見え隠れするような気がします。

フランス語で名詞を探り始めると、男性名詞・女性名詞がそれぞれ、違う表現でおなじものを示しているケースに気が付きます。好例が自転車で、le vélocipède(vélo)とla bicyclette。違う単語だけれど、どちらも自転車。おまけに男性と女性です。また俯瞰していくと、全体で男女が良いバランスで混ざっているケースもあります。例えば、本。un livreやun bouquinで男性名詞ですが、表紙はune couvertureでページはune page。ハードカバーはun couverture cartonnéeで文庫本はun livre de pocheで、本が男性名詞だから当たり前にもかかわらず、本屋(une librairie)も図書館(une bibliothèque)も、読書(une lecture)も女性名詞です。ちなみにしおりは、une marque-pageとun signetの男女両方。カテゴリでどちらに属するか決めて!と云いたくなる。でも極力分散させる傾向にはあるようで、言葉は男性・女性どちらかには「多分偏らない」が、アカデミーフランセーズに傾倒する友人の意見です。性別とか、民族とか、軋轢の原因になりがちな「違い」を、丁寧に、繊細に触る(その割に大雑把で、大胆でもある)フランスという国の本質が、ここにも出ているように感じます。そのせいなのか、私の疑問をわかるか!と一刀両断した我が相方も、相方なりの意見があるのだと、しばらくしてから説明し始めました。大きいもの、外側にあるもの、固いものは男性。小さいもの、内側にあるもの、柔らかいものは女性。外来語は男性。あくまでも予測と云いながら、言葉を覚えていく過程で感じ取った『確率統計』の結果です。

膣は男性名詞。男根や陰嚢も男性名詞です。ですが、すべて分解していくと男女混合、細かくなればなるほど女性名詞が出てきます。医学用語はそもそもラテン語だったり、ギリシャ語だったりするわけなので、もし相方が云う【外来語は男性】が基本にあるなら、膣が女性でも理屈はとおります。

主人公のツイートよりも、「女性についているけれど、男性に属するからじゃない?(Maybe because a vagina is something women own but man possesses?)」というシルヴィの応答が、いかにもフランスらしいシニシズムで私にはむしろツボ。捧腹絶倒、膝を叩いて大笑いでした。シルヴィの応答に対してツイートしなかったのは、あまりにも膝蓋腱反射のアメリカ人的!!(苦笑)敢えてスルーしたなら、エミリーは超一流の外交官、マーケターだなーと感心する次第です。

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