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木下龍也と岡野大嗣の出会い 岡野大嗣

 短歌をつくり始めて半年ほど経った頃から、新聞、雑誌、ネットにラジオと手当たり次第に投稿し始めた。どこへ送ってもだいたい採用されて、自分の名前が他の投稿者より多く載るのは気分がよかった。そうして調子に乗り始めた頃に、僕より目立つ奴が現れた。それが木下龍也だった。自分が載るときには木下龍也も必ず載るし、自分が載らないときにも木下龍也は載る。あらゆる投稿先で飄々と優秀作の座を奪っていく。一身に浴びていたスポットライトを奪われた気がして正直嫉妬したけれど、圧倒的な強敵の登場に思わず笑みを浮かべてしまう主人公の気持ちになれてうれしかった。スラムダンクの流川楓のセリフを借りていえば「ありがてえ、贋物じゃねえ」。こんな奴がいる短歌の世界をおもしろいと思った。お互いに名前を意識していたから、Twitterにアカウントを見つけてフォローし合うまで時間はかからなかった。タイムライン上で僕は彼のビート板の短歌を褒め、彼は僕の雑巾の短歌に「グッときました」と言ってくれた。

 それから1ヶ月と経たないうちに、実物の木下龍也に会うことになる。友人主催の、芝居をメインにしたイベントに僕は短歌朗読で誘われ、ひとりで参加するのは不安だから誰かを誘おうと思った瞬間に木下龍也に連絡していた。当時の彼は、Twitterのアイコンの近影写真が幽霊みたいだったから、ほんとうに実在する人物なのかちょっと不安に思う気持ちがあったけれど、イベント当日、彼はちゃんとやってきた。幽霊みたいだったけど歩いていた。髪の毛が長くて、しいたけが嫌いだと言っていた。混み合う電車で僕に席を譲ってくれた。おじいさんに席を譲るみたいな丁重さで。

 イベントはブッキング形式のライブで、色々なジャンルの表現者の異種格闘技戦だった。ギター1本で情念の機微を歌いあげるシンガーソングライター、本物の喜怒哀楽を感じさせる芝居の演技。「こういうのに比べたら」と木下さんがぼそっと言った言葉をずっと覚えている。「僕らのやってるのって、ただの言葉ですよね。言葉なんて誰でも使えるじゃないですか」。誰でも使えるけど、誰でも凄い短歌を作れるわけじゃないけどね、という自負も垣間見えた。

 イベントの間もそのあとの居酒屋でも、僕らはあまり話さなかった。山口へ帰る彼を御堂筋線の新大阪駅まで見送って、プラットホームで初めて短歌のことを話した。そのときの10分ほどの時間を、今でも宝物のように思い出す。


岡野大嗣(おかのだいじ)

1980年1月1日、大阪府生まれ。歌人。2014年に第一歌集『サイレンと犀』を、2018年に木下龍也との共著『玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ』を刊行。反転フラップ式案内表示機と航空障害灯をこよなく愛する。

http://www.nanarokusha.com/book/2017/12/12/4517.html

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