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すれ違い続ける、という永遠について

精神年齢が高すぎると言われた少年たちは、もういない。自由でいいねと雑な優しさで喩えられたふたりも、知らず知らずのうちにどこかの歯車になっていた。

大して変わっていない気がしている見た目も、わりと変わっていた。あの頃、校則すれすれのスカート、黒タイツにレース、ローファーを履いたわたしたちは無敵だった。

永遠なんてない、と笑いながら物語に魅せられ続けているわたしたちは、多分ずっと永遠を探している。ただ、永遠という言葉にはどこか「ずっといっしょ」とか「となりであるく」とか、そういう物理的かつ精神的に並走しているような意味合いがあるような気もしていた。


言葉は悪いが、結局バカでいることが一番楽だと知っている。気付かないことで救われることがたくさんあると、何度も涙を流しながら気持ちをどうにか卒業させた。結局、割り切ることを獲得したわたしたちは、社会で息ができている。

はじまりを決めたひとり、悩むひとり。でも、賢すぎることでもれてしまったひとのことを、あなたは救いたいんでしょう。なんて、見透かしたように彼女は言う。

会う頻度も、距離も、どうでもよかった。ただ、絶望の世界の渦中にいても、彼女が生きていると思うだけで、わたしは生かされてきた。


いつになっても思い出す、彼女とすれ違いつづけた図書館までの道。そういえば、いっしょに向かったことはあまりない。ただ、お互いのペースで同じ場所を行き来して、その旅路でいつもすれ違って手を振り続けている。その交差によって生まれるエネルギーほど心地よいものはない。すれ違うことは、さみしいことではない。むしろ、すれ違い続けることができる唯一性を既に獲得していたのだ、なんて言ってしまいそうである。

そう、すれ違い続けた先はきっと、永遠だ。すれ違い続けることで、わたしたちは無限に動力を生み出すことができるのだから。


あなたの人生は、わたしが保証する。よくわからないまま習い続けた習字に、ようやく感謝する日が来た。わたしの名前が背筋を伸ばして、彼女に気持ちを伝えている。

彼女とすれ違い続けたい、と思う。すれ違い続けた図書館までの道で、この本がよかった、なんて会話していたみたいに。わたしはわたしの道で、あなたを救うことになるかもしれない物語をこっそり探しておくから。いってらっしゃい、おめでとう。

読んでくださってありがとうございます。今日もあたらしい物語を探しに行きます。