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外国人と歩く京都

久しぶりに京都へ行ってきた。フランス人のパートナーといろいろなお店に入っていて気づいたことがある。お店の人がごく自然にパートナーに日本語で話しかけるのだ。パートナーが返事ができないでいるとゆっくりとわかりやすくもう一度日本語で説明してくれる。日本語が全くわからないと気づくと英語で尋ね直してくれることもあった。

お店を出たあと、感じの良い店員さんだったねと2人で話す。

外国に来てその国の言葉で話しかけられるというのは、たとえその国の言葉を知らなくとも心地良い。受け入れられたように感じるものだ。


昔、神戸のカフェでアルバイトをしたときに先輩から「たとえ絶対に外国人だってお客さんが来てもまずは日本語で話しかけること。英語のメニューじゃなくまずは日本語のメニューを出すこと。外国人だけど日本語がペラペラかもしれないし、日本語を勉強中かもしれないからね」と教えられたことがある。その時は、ふーんそんなもんか、と思っただけだったが、パリに住んでからこのカフェの教えは大切なことだったんだなとわかった。


パリに住んでいたときのこと。普段行くようなお店だとそんなことはないのだけど、観光客も来るようなちょっと洒落た服屋さんだとか、いろんな国の人が集まる撮影現場などではフランス人から英語で話しかけられることがしばしばあった。こちらからフランス語で話しかけているのにずっと英語で返事をするフランス人もいた。

アジア人以外には相手の国籍母国語を問わずフランス語で話しかけるけれど、アジア人にはとりあえず英語で話しかけるというパターンの人が一定数いる。それは親切心でもあるのだけど、ちょっと寂しく感じることでもあった。見た目で、この人はフランス語喋れないな、観光客だな、と判断されているように感じてしまうのだ。
とは言っても私は外国人だし観光客だと思われてもしょうがない。ただフランスにはアジア系のフランス人もいる。生まれも育ちもフランスなのに英語で話しかけられているのをみると、どんな気持ちなのだろうなあと考えることがあった。



うちのパートナーはまだまだ全然日本語が話せないのだけど、お店の人から「試着されますか?」とか「気になる商品がありましたらお声がけくださいね」なんてごくごく自然に日本語で話しかけられているのを見るとちょっと嬉しい。
もしかしたら京都の人が外国人に慣れているからかもしれない。日本にいるのだから日本語で接客するのが当たり前なだけなのかもしれない。もしかしたら英語が苦手だったのかもしれない。

接客する側に深い意味はなかったのかもしれない。でも外国に来て"普通"に扱われることは結構嬉しいことなのだ。


フランスでは英語で話しかけると無視されるとか、日本では外国人が日本語で話しかけると「No English!」と言って逃げられる、なんて話を聞いたことがあったけれど、そんなのはもはや昔話なのかもしれない。


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