うむくじてんぷら

首里城が焼け落ちた夜に

 2019年6月、私と相方は沖縄本島にいた。
 石垣島で結婚式を挙げてから一年、ウェディングプランの特典だったホテルのレストランの無料招待券が届いたので、15日に私の故郷である沖縄へと帰省したのだ。
 相方が「明日は美ら海水族館に行きたい」というので、その最寄りのホテルに予約を取り、翌日、石垣島から沖縄へ向かった。当日は折悪しく、沖縄は大雨の様相だった。少しだけ観光の時間が確保できたので、私の希望で国際通りへと向かった。お昼時だったので飲食店が多い場所にしたかったのもあったが、一番の目的は沖縄県民の台所、牧志公設市場だった。実は前日の15日、牧志公設市場は老朽化による建て替えのため、仮設市場への移転前、最後の営業を終えたのだった。私が観たかったのはその跡地だった。
 沖縄本島初上陸の相方は首里城にも興味を示していたが、上述の理由に加え雨が降っていたことと、相方に国際通りを見せたかったことも手伝って、自分の欲求のほうを優先し、首里城見学は次の機会へと回した。

『沖縄はまたいつでもこれるんだから』

 10月31日。私はその選択を後悔することになる。


 首里城が焼け落ちた。約半日に渡り燃え続けた炎は正殿や北殿、南殿といった城の主要部分を焼き尽くし、いつも神々しい漆の紅色を琉球の文化を感じさせる華やかな意匠で飾っていた木造の城は消し炭と変わり、30年以上の長い復元作業は水泡に帰した。
 原因は特定されていないが、「反日勢力が~」「××人が~」などと、ネットでは早くも心無い者達による差別まみれの流言飛語が飛び交った。沖縄の大惨事を自身のヘイトに利用する愚者共には、二度とお天道様を拝めなくなるほどの天罰がくだってほしい。
 SNSと朝のNHKニュースで燃え盛る首里城を目にしたとき、私は悲しみや絶望より先に、これは何の冗談だろう、と思った。城の焼け落ちる光景が頭から離れないまま職場へ向かい、粛々と仕事をこなしていても首里城のことから意識を離すことができず、やりきれない思いは次第に膨れ上がった。
 


 「沖縄県」の近現代は暴力と略奪、差別と陵辱、支配と屈服の歴史だった。琉球王国は日本に強制併合させられ消滅した。太平洋戦争で旧日本軍は首里城の地下に帝国陸軍第32軍司令部壕を作り、沖縄では日本で唯一の地上戦が繰り広げられ、沖縄県民が直に戦線に巻き込まれた。沖縄戦によって首里城は粉々になり、戦後、長きに渡る復元作業が行われた。しかし、戦後から現在にわたって沖縄が日本とアメリカの都合によって土地を、安全を、尊厳を牛耳られ続けているのは説明のいらないところだ。

 

 それでも、首里城はなぜ守られ続けたのか。なぜ、何度壊されても生まれ変わり続けたのか。なぜ、どれだけ奪われ続けても、この城の存在だけは守り抜こうとしたのか。
 私は首里城こそが「最後の一線」だったからだと思っている。沖縄という土地が、どれだけのものを奪われ続けても、支配され続けても、これだけは奪われてはならないと守り続けた、沖縄という土地の最後の精神的支柱になり得ていたからだ。
 奪われ壊され続けた沖縄の文化を残さないといけない。絶やしてはならない。取り戻さなければならない。沖縄県民の、ただそれだけの、ごくごく当たり前の想いが首里城を蘇らせ続けた。


 今回の首里城焼失は多くの反応を引き起こしたが、中には「せっかくの世界遺産が!」「いや、世界遺産の部分にダメージはないからOK」「どうせ燃えたのはレプリカだし」といった意見もあった。何もわかっていない。
 それがあとから作られた復元品であるかどうかは、その土地に積み重なった歴史や人の想いの重さや価値を語ることになんの意味も持たない。どのような文脈を以てそれが生み出されたのか、真摯に正しく過去を語れているか、どのような想いが込められたのか、私はそれ次第によって、昨日出来たばかりの物にだって歴史という名の価値が宿ると思っている。首里城の歩んできた道のりを考えれば言わずもがなだ。たかだかレプリカだ復元品だなどといった口ぶりで首里城の価値を語る者は、あの城を「モノ」だとしか思えていない。そこに背負わされた歴史や尊厳を観るための目が備わっていないのだ。
 世界遺産に選ばれて「この文化は守らないといけない」と世界から思ってもらえたことは誉れなことだ。しかし、世界遺産という肩書は所詮あとからついたものである。それを以て首里城が世界共有の財産になったわけでも、「我が国にはこんな素晴らしいものがあるんですよ」と日本列島がドヤ顔するための装飾品に成り下がったわけでもない。何百年も前から首里城は、そしてこれからも永遠に、日本によって潰された琉球王国の存在証明であり、決して奪われなかった歴史と尊厳の形であり、沖縄県民だけの財産である。
 首里城を「見世物だ」とコケにする声もあるが、沖縄の経済の要は観光である。観光とは、沖縄が自らの力で、自らの資源で、自らの努力で経済を生み出すための最大の道具だ。沖縄一の観光名所である首里城が見世物であり続けることで、沖縄の経済的自立にどれだけの貢献を果たしているだろう。基地なんかよりもよほど、戦後の沖縄に金を生んだ立役者だ。


 相方と二人で話した。新しい首里城を観に行けるのはいつになるだろうね、と。
「また三十年くらいかかるようなら、定年退職したら一緒に観に行こう」と相方は言った。
「観に行ける程度までなら、きっとすぐだよ。10年くらい」と私は返した。
 また蘇ってくれるかどうかなんて、今のところは希望的観測に過ぎない。それでも、決して絶えない希望である。
 沖縄という場所がなくならない限り。

『沖縄はまたいつでもこれるんだから』

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コメント1件

沖縄の方々の火災に対する反応を見て、いかに首里城が大切だったのかということを知りました。
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