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日本でドキュメンタリー映画が流行るには

  TVのドキュメンタリーが好きでよく観ている。自然の風景や動物の生態を垂れ流しているものよりも、人間を扱っているものが好きだ。どうも小さい頃から創作物よりもドキュメンタリーのほうを好んでいたようで、小学生の頃は図書館に通い詰め、世界的な児童文学には目もくれず学研あたりが出していたノンフィクションばかり読み耽っていた。今でも自宅の本棚に目を移せば、フィクションよりもノンフィクションのほうが圧倒的に多い。

 「NHKスペシャル」や「事件の涙」といったようなコンテンツを抱えているNHKはともかく、民放などを観ていると、ゴールデンタイムではどの局でも内容の似通ったような有象無象のバラエティが多く、せめて一局くらい骨太のドキュメントをゴールデンタイムに流してくれてもいいのに、と思うこともある。とはいえ、もちろん視聴率など取れるはずもない。民放にも「テレメンタリー」や「ムーブ」、「NNNドキュメント」といったような良質のドキュメンタリー番組があるけれど(フジテレビの「ザ・ノンフィクション」は扱う題材が独特だけどそのぶん質にブレが激しい)、どれも放送時間が深夜や早朝に据えられていて、公式サイトやテレビ欄をくまなくチェックしていないと取りこぼすような扱いだ。BSなどは頑張っているほうなのかもしれないけれど。

 こと、日本においてドキュメンタリー作品はどうも軽視されがちに思える。あくまで私個人の見解としてドキュメンタリーは創作に比べて煙に巻きにくい部分があるからかもしれない。虚構を混ぜずに伝えるということは、メタファーが使えなかったりする。送り手の思想やメッセージはむき出しのまま観客の元へ向かい、何かあったときの言い訳ができづらくなる(「誤解を与えてしまったなら申し訳ない」という便利な常套句がこの国にはあるのだけれど)。
 この国の人々は思想を伝える・伝えられるということに異常な拒絶反応を示すフシがあり、病的なまでに「中立であること」にこだわり、こだわりすぎるゆえ「中立」の意味や重要性を履き違えるようになり、佐世保市が原爆写真展の後援を控えるというコントのような状況が生まれる。
 それゆえ、ドキュメンタリーというものは多くの視聴者からは拒絶反応を引き起こしやすいのかもしれない。ましてや仕事や勉学から疲れて帰ってきてつけた平日や、のんびり楽しく過ごしたい休日につけたTVで、ゴリゴリに硬派なドキュメンタリーを観たいとは思わないのだろう。そういった面で「プロジェクトX」みたいな作品を創って支持を集めていたNHKはノウハウを心得ているというか、上手いところをつくなと思う。もっとも、今の民放のバラエティが支持されるほど「偏ってない」のかといえば疑問が生じないではない。

 私は映画が好きで、週に一、二回くらいのペースで劇場に足を運ぶ。そこで観た映画のタイトルをメモする習慣があるのだけれど、今年観た映画の内容をざっと確認すると、いくつかは実話をモチーフにした作品であり、特に「社会派映画」と分類されるものが多く、それは概ね洋画であったりする。もちろんこれらは実はをモチーフにしただけで、当事者の実名などを用いているとはいえあくまで扱いはフィクションである。しかし事実は小説よりも……とはよく言ったもので、それらの作品はすこぶる質がいい(運良く質が悪いものを観てないだけかもしれない)。
 日本にも実話を元にした映画は多いけれど、政治が絡んだ、それも風刺的な側面を持つような社会派映画はとても少ない。今年公開されてスマッシュヒットとなった『新聞記者』は、邦画としてはなかなか攻めたほうではあったけれど、実話をモチーフにしているとはいえ実在の人間の実名が全く出てこない、何重にもくるまれてぼやかされた中途半端な仕上がりになっていた。その点で『タクシー運転手』や『1987、ある戦いの真実』のような作品を生み出せる韓国映画に何十歩も遅れを取っている。そんな国においてドキュメンタリーの注目のされなさといえば、推して知るべし。
 Netflixなどを観ても、海外製のコンテンツのドキュメンタリーの多さに比べて(質はかなりピンキリだけれど)、日本製の硬派なドキュメンタリーはほぼ皆無と言っていい。映画賞でもドキュメンタリーの不遇や軽視は明白だ。本家のアカデミー賞には「長編ドキュメンタリー賞」「短編ドキュメンタリー賞」という部門が存在するけれど、日本アカデミー賞には存在しない。海外の映画賞を狙える土壌などもなく、和製マイケル・ムーアの誕生はとても難しい。
 
 キネマ旬報という、映画ファンでなくとも存在を知っている著名な映画雑誌がある。この雑誌は年に一度「キネマ旬報ベスト・テン」という映画ランキングをなんと90年以上も前から発表しており、毎年「今年のキネ旬ベスト・テン日本映画部門1位は~」というニュースが流れるように、ある種の権威となっている、少なくとも日本アカデミー賞よりは信頼できる賞レースだ。映画雑誌の編集者や映画評論家達からの投票でランキングが決まるこの賞、「日本映画部門」「外国映画部門」「個人賞」がニュースの話題にあがることは多いけれど、実はもうひとつの部門があり、こちらのほうは映画ファンの間でも話題に挙げられることが少なく、メディアも対して取り扱わない。それが「文化映画部門」……つまるところの「ドキュメンタリー映画」部門である。
 現状、日本のドキュメンタリー映画に当たる一番大きなスポットライトであるにも関わらず、そっぽ向かれがちなこの賞を私はとても重宝している。ドキュメンタリー映画というのは公開規模などの面から鑑みて、先述のようにあまりメディアに取り上げられることがなく、アンテナを立てていても公開の情報が入ってきづらいのだ。

 とはいえ、私が鑑賞できる映画の量には限度があるし、公開規模がとても少なく、また鑑賞方法が限られているような作品にまでは公開期限までに足を伸ばせない。そうなるとソフト化や配信を待つほかなくなるのだけれど、悲しいことに日本のドキュメンタリー映画はほとんど、ソフト化されたり配信されたりすることがない。
 去年の「文化映画ベスト・テン」を調べてみると、DVD化しているのは『ニッポン国vs泉南石綿村』と『まだ見ぬまちへ ~石巻・小さなコミュニティの物語』のみであり、『まだ見ぬまちへ』になどは一般市場への流通はなく公式サイトからの通信販売しか存在しない。とはいえ現在はソフトにならなくとも配信などで多くの人に届けることもできるが、配信に至ってるのは前述の『ニッポン国~』と『ぼけますから、よろしくお願いします』のみだ。第1位の『沖縄スパイ戦史』はソフト・配信どちらにも至っていない。一昨年まで遡ってみても、DVD・配信の両方が存在するのは『標的の島 風たかた』のみであり、DVDのみでも『米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー』と『ウォーナーの謎のリスト(こちらは公式サイトからの販売のみ)』だけ。第1位の『人生フルーツ』すら去年同様の状況である。フィルムやデータは存在するのに、個人が気軽に接触できる方法で形を残せないのは、どんな重要なメッセージであっても風化を促進しかねない事態だけれど、私達いち鑑賞者にはどうすることもできない。
 そもそも日本のドキュメンタリー映画はおおむね、劇場公開されてもミニシアターや地方の公民館がせいぜいで、年に二、三回シネコンに足を運ぶ程度の人に存在を気付いてもらうのは相当難しい。ましてや興味を持ってもらうなんて……。

 そんな日本のドキュメンタリー映画の世界に今年、大きな風が吹いた。
ミキ・デザキ監督の『主戦場』である。公開前から大きな話題になっていたこの作品、製作国がアメリカなので『日本のドキュメンタリー映画』と呼ぶにはちょっと抵抗がなくもないけれど、本作はドキュメンタリー邦画としては異例の大ヒットとなり、上映館も爆発的に増えた。私は公開日に早速イメージフォーラムへ鑑賞し、とても意義のある作品だと思ったけれど、テーマ的にも論争は必至だった。かつての『ザ・コーヴ』のように、映画ファンではなく一部の人間達の間で論争を巻き起こさない限り、ドキュメンタリー映画が日本で注目されることはないのだと思うと、必要なことだとはいえそれはそれで寂しい。

 ドキュメンタリー映画は、知らなくても生きていけるけれど知っておきたい情報の宝庫である。想像できないような労力と覚悟のもとに生み出されたそれは、たしかに実在する人間の生の言葉、生の表情、生の感情が、フィクションで伝えられない多くのことを私達に伝えてくれる。
 日本でドキュメンタリー映画が流行るにはどうすればいいか。ドキュメンタリー映画のほとんどは商業的成功よりも事実を伝えることに重きを置いているので、『一定の時期が経ったものはネットで無償公開する』といった手法ならば、あるいはと思わないこともない。当然、人目につく規模が大きくなればそれなりのリスクがあり、現在のように「労力を大きく割いても能動的に情報が欲しい人」に届けることはとても安心ではあるし、受け手に対する信頼性もある。
 流行るとまではいかなくとも、今以上に注目を集めてもいいのではないのかと思う。フィクションをなぞったような社会の現状と、歴史の事実がフィクション扱いされてしまうような時代ではなおさら。

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