「偽装の夫婦」は筋肉メンタルドラマだった

 私が日本テレビ系ドラマ「偽装の夫婦」の初回を観て感じたことはこちらの記事を参考にしていただくとして↓
 ドラマ「偽装の夫婦」の粗さに思う

 あれから約三ヶ月、なんだかんだありながらも面白く観ていたドラマ「偽装の夫婦」が先日、最終回を迎えたわけなのですが、その結末はまさに賛否両論……といいたいところですが、多少の偏りがあるとはいえ私の観測範囲では圧倒的に「否」のほうが多い模様。

 「偽装の夫婦」を知らない人のために作品の詳細を、第9話までの作中の変化を絡めたキャラ紹介でざっくり記すと、

・ヒロ
 複雑な家庭に育ち、25年前に一夜だけの相手だった男・超治に捨てられてからは誰に対しても心を閉ざし続けて生きてきた女。再開した超治から偽装結婚をお願いされてしぶしぶ承諾。超治や周囲の人間に触れていくうちに、次第に心を開き明るい性格を取り戻していく。超治への恋心も自覚しながらも、偽装結婚解消後にしおりさんと交際する。
超治
 25年前にヒロを捨てた男。実はゲイ。余命少ない母親のために、再開したばかりのヒロに偽装結婚をお願いする。性格は優しくて明るく、テンションが上がるとすぐにハグをする。感情が高ぶるとオネエ口調になる。運送屋で働く保に一目惚れし、偽装結婚解消後に交際することになる。
・しおりさん
 前夫からのDVによって足に障害を負ったシングルマザー。娘の由羽と二人で暮らしている。男性恐怖症であり、助けてもらった縁からヒロに好意を抱き、家族になってほしいとお願いする。後に思いが通じヒロと交際する。
・保
 運送屋で働く若者。正義の味方に憧れており、自分を救ってくれたヒロを尊敬している。超治から告白された際、自分はゲイではないものの理解に努めようと誓う。後に超治の寂しそうな姿を見て自分が守ってやらねばと思い、超治と交際する。
・超治の母
 超治に結婚してもらいたいあまりにガンだと嘘をつく。
・ヒロの家族
 やさぐれている老婆、挙動不審なマジシャン、スノッブ根性。基本的に全員性格はいい。

 紆余曲折あって様々な問題が解決し、偽装結婚の必要がなくなったヒロと超治は離婚。お互いに交際相手がいたら一年後に再会しようと約束して別れたのが第八話。そして一年後、約束通り再会したヒロと超治はそれぞれ同性の相手と交際していたものの、ところがヒロと超治が母の見舞いのために二人で富山へ行った夜、それまでヒロのことを親友だとしか思ってなかったはずの超治が何のフラグもなく唐突に、本当に唐突にヒロに対し身も心も愛したい、再び交際したいと言い出して、ヒロもヒロで超治への恋心が残っているものだからそれを受け入れようとするまでが第九話。
 作中でセクシャルマイノリティへの理解を何度となく訴えかけながら、百合カップルとゲイカップルの成立で喜びに湧き立っていた視聴者をどん底へ叩き落とす展開へと向かったまま迎えた最終回は私の目から見ても、セクシャリティに絡んだ話を一旦忘れたとしてもこう、とても残念な仕上がりとなっていました。

 最終回。ヒロは超治のことを振り払うべく、交際相手のしおりさんとその娘・由羽ちゃんに家族結婚式をしようと申し出ます。かつては前夫、父から手ひどい裏切りを受け、傷つき生きてきた二人ですから、ヒロの申し出でようやく本物の家族になれると喜んだわけです。
 ところが当日、心の声が漏れるのを抑えきれなくなったヒロは、結婚式を祝おうとしたみんなの前で、本当は超治と一緒にいたいと泣きながら告白。超治もまんざらではないものだから、ヒロの突然の裏切りに由羽ちゃんは大号泣。
「たくさんの人を幸せにしたいのにー!!」とカルト宗教的なことを叫ぶヒロ。そのとき、ヒロの家族や超治の母、流れ的に超治にフラれている保など周囲の大人達がこぞって由羽ちゃんを慰めます。
 ヒロに捨てられたしおりさんも、超治にフラれた保も、それぞれにたくましく立ち直ろうとしながら、ヒロと超治を祝福。こうして思いが通じあった超治とヒロは再び籍を入れ、ラストはYoutubeにアップされたゲイカップルとレズビアンカップルのインタビュー動画が添え物のように流れましたとさ。めでたしめでたし……。

 先述のように、作中ではセクシャルマイノリティへの理解や偏見の撤廃を何度も訴えています。そういった点で、「偽装の夫婦」はとてもいいシーンの多い作品でもありました。第6話で超治がしおりの元夫に放った「私たちには、違いよりも共通点のほうがいっぱいあるの。ささいな違いにこだわって相手を責めるのもうやめたら? もう一度言うけど、心の痛みは同じなの。私たちに大した違いはない。みんな同じなの!」というセリフはとても良かったですし、最終回で唐突に既存の結婚制度を疑うセリフがちらっと出てきたのも、個人的にはポイントの高いところでした。
 あれだけセクシャルマイノリティに寄り添っていながら結局男女の夫婦というヘテロの関係性へと落とし込んだ問題に関しては、私はちょっと責めることはできないのです。セクシャリティを超越した関係というのも情愛のグラデーションのひとつとして肯定されるべきで、当事者の意思を無視してまで必ず自分の性自認に適合した関係性のみを求めなければならないというのは、かえって多様性の否定につながるからです。
 とはいえ、話の流れをみれば「セクシャルマイノリティは結局ヘテロの関係性を強固に肯定するためのダシにされた」という怒りは充分納得できます。このドラマは第一話の段階から、セクシャルマイノリティに対する認識が、胸焼けするほどにとても雑な作品でした。脚本を務めた遊川和彦氏はヘテロセクシャルこそが最適解と伝えたかったのではなく、こういう形もあるんだよと言いたかっただけなのかもしれませんが、それを描くのにはあまりにも、知識面でも作劇面でも、セクシャルマイノリティという存在に対して「荒すぎた」という他ないシナリオとキャラ設定なのです。
 また超治が結局ヒロとセックスすることができず「身も心も愛せなかった」と言い放つようなセックス偏重的な場面にはいささか嫌悪感も覚えましたが、結果的には「セックスなんてできなくてもいい」と認識させる着地をしたのでよしとしましょう。

 最終回で最もヒドかったのは、結局男女のカップリングに落とし込んだ、という部分では無いと思うのです。個人的にもっとも醜悪だと感じたのは、自分の家族になってくれると誓ったはずのヒロの土壇場の裏切りによって、傷つき泣き出し、「たくさんの人を幸せにしたい」と言ったヒロの目の前で「由羽は幸せじゃない!」と叫びながら、ヒロとのもやい絆の証でもあった「かぞく」と書かれた紙を、ヒロの前で破り割いた由羽ちゃんを、「あんたにヒロの人生は変えられない」と言ったり、バラバラになった「かぞく」の紙を突然のマジックで元に戻したりするなどで、周囲の大人達が由羽ちゃんを慰めたりたしなめたりしようとした場面です。

 あの瞬間、由羽ちゃんには悲しむ権利があり、悲しむべきタイミングでした。すでにDV癖がある父親の存在によって一度壊れた家庭に傷つき、第6話ではその父親から誘拐同然に連れて行かれたこともある由羽ちゃんにとって、ヒロはようやく差し伸べられた救いの手。自分を、そして母を光の下へ連れだしてくれるはずの存在だったのです。
 その相手からさらなる傷を負わされたのに、見ず知らずの大人達に慰められても、それが由羽ちゃんにとってなんだというのでしょうか。目の前では肝心のヒロまでもおいおいと泣いています。赤の他人の誰に収集がつけられるでしょう。子供の知恵や気遣いでは、もうこれ以上責めることもできません。子供らしく泣くほかないのに、どうせ再生しない家族なら悲しみきって嫌い抜いて忘れるほかないのに、そのタイミングすら周囲の大人達は許してくれません。笑って立ち直ることを強要するのです。
 何より一番残酷なのは、ヒロの従兄弟であるマジシャンがマジックによって、由羽ちゃんの破った「かぞく」の紙を完全に再生させたシーンです。あのトンデモシーンはまるで感動すべき場面のように描かれていますが、どう考えても作中、一番残酷なシーンです。
 物理的に「かぞく」を破ったのは由羽ちゃんですが、「かぞく」を破壊したのはヒロなのです。紙でできた「かぞく」を再生しても、ヒロの心変わりがない限り、盛大に壊れた「かぞく」まで元に戻るわけではありません。由羽ちゃんが「かぞく」の紙を破ったのは、ヒロが招いた結果であり、心のままに生きると誓って多くの人を裏切ったヒロは破れた紙を目にしたとき、「なんでなの~」と泣き喚くより、これは自分の選んだ道で当たり前の結末なのだと飲み込むべきだったのではないでしょうか。
 なにより「かぞく」の紙を破いたのは、由羽ちゃんにとって必要な儀式だったはずです。あの紙があり続ける限り、もう戻ってこない「かぞく」への未練も断ち切れず傷つき続けるのかもしれませんし、ヘタすれば愛するヒロを束縛する鎖にもなりかねません。ヒロに自分の行ったことを理解させ、それでもなお歩ませるための要素にもなるので、あの着地点に強い意味を持たせる重要なシーンにもなります。ヒロもしおりさんも由羽ちゃんも、それぞれが悲しみを乗り越えて前に進むためには、あの紙が失われるという工程は必要だったはずで、なぜそれを唐突なマジックで復活させたのでしょうか。ヒロにとっては自責の念が軟化するので都合がいいのかもしれませんが。由羽ちゃんやしおりさんにとっては精神を抹殺しかねないレベルの嫌がらせにしかなりません。

 ここまで考えて気が付きました。このドラマは言い切ってしまうと、ヒロと超治が結ばれる、セクシャリティを超越した夫婦を肯定するという着地点ありきで作られた作品なのかもしれません。そしてその着地点を重視するあまり、ヒロと超治以外のキャラクターが、その着地点を肯定するために作られた「装置」になっているのだと。
 あの家族結婚式で由羽ちゃんが悲しみに打ちひしがれたとき、小さな子供を慰めるために大人達がしてきた残酷な行いは、本当に「子供を慰めるため」の描写だったのでしょうか。私にはどうも「全員が全力でヒロと超治の行いを肯定するため」の描写にしか映らないのです。由羽ちゃんから悲しむ余地を奪い、紙を破るという決意を蔑ろにしたのは、ヒロと超治のため。彼等の罪悪感を抹消するため。あの着地点のため。
 ヒロと超治にフラれたあとの、しおりさんと保の行動にもそれが現れています。しおりさんはヒロを祝福しながらも、最後の最後に大声で悪態をつき、自分の気持ちを整理してヒロを見送ります。保は初めてフラれたショックで酒に逃げながらも、超治に最後の強がりを言って超治を見送るのです。
 一度ならず二度までも、不条理に家族を壊されることになったしおり。ゲイではないにも関わらず、身も心も深い理解を示して傍らにいてくれた保。そしてようやくできた新しい家族の元で幸せになるはずだった由羽ちゃん。これだけ悲惨な目にあっても彼らには最後まで救済はありません。アフターケアがありません。ですが彼らには「屈強な精神力で立ち直る」という仕事だけが残され、事実そうすることでヒロと超治を肯定してあげるのです。マイノリティ当事者、マイノリティに寄り添う人、マイノリティの作る家族の一員になる人、繊細な部分に生きている人達が、尊厳すら奪われかねない問題を精神的なタフネスだけで一蹴しなければならず、言ってしまえば彼らにはもう人格は与えられていません。彼等の人格も、彼等のセクシャリティも、このドラマにおいて着地点を強固にするための「装置」でしかありません。

 「偽装の夫婦」はすさまじい精神力、筋肉メンタルで成立している作品でした。
 考えてもみれば、ヒロの名前の由来は「ヒーロー」、超治は「超人」からきていることが公式でも明らかになっており、ヒロには感情を殺しながら問題を解決する力が、超治には多くの人間を拒まずに包み込む優しさがあり、それは作中で如何なく振るわれます。そんな屈強な精神を持つ者達の作中最大のエゴを肯定するには、周囲の人間にも筋肉メンタルが要求されるもので、だから大人達はあのとき、まるでカルトのような勢いで由羽ちゃんから強引に笑顔を引き出そうとし、しおりさんと保は最低限のダメージでいられる立ち振舞を見せました。
 遊川和彦氏が「ジェンダーを掘り下げない」といったのも、そもそもセクシャリティを扱って繊細な部分を切り取るどころか、万難は精神力でどうにかしてやるというマクロすぎる理屈で人間が動くドラマなら宜なるかなという感じです。それは残酷なほどに明るいもので、「みんなが気持ちを明るくいればセクシャリティの差別はなくなるよ!」くらいのメッセージはあったのかもしれません。そういった意味で「偽装の夫婦」は人間でいうと「根はいいやつだけど底抜けにバカ」くらいの存在なのでしょう。
 結末に向かい、精神力だけを求められた装置に背中を押されて幸せへと走りだすヒロと超治。残ったものはもちろん、ヒーローや超人のようなタフネスなど持ち合わせていない、どこにでもいる私たち普通の視聴者の困惑だけ……。

 とりあえず、私同様「偽装の夫婦」を見限ることなく全話を見きった視聴者の同士に、深い敬意の念を払わせていただきます。ハグしてもいいか? もうしてるけどな!

 

 

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