なんなん

私の不幸な人生をお楽しみください。………………………………………………………………………

なんなん

私の不幸な人生をお楽しみください。…………………………………………………………………………………………… #離婚#DV#看護師#児童福祉#フリーランス#企業看護師#ストレス#休職#看護師の多様な働き方

最近の記事

しばらく都合で…

一部記事を非公開にしています。 更新は支障のない範囲でやっていきますのでよろしくお願い致します。

    • 施設の子どもたちは毎月●●万円国からもらっているのになにも買ってもらえない話。

      タイガーマスクが児童養護施設にランドセルを寄付したことを覚えているだろうか。 乳児院や児童養護施設にはたくさんの寄付が寄せられている。 でも 考えたことありますか? 国から、1人あたり、いくらお金がおりているのだろう…と。 私もうろ覚えですが、当時で確か、乳児が月80万。 幼児は60万?とかだったかと。 (障害や疾患のある子はさらに月数十万の加算あり、ちなみに看護師1名雇うとその分も加算があったりする) ググってみると、だいたい卒業(原則18歳)までに1人1億

      • ほとんど外に出たことのない子どもたちの話。

        乳児院ではそんな感じでみんな出来る限り精一杯の努力をしていたのだが そんな努力よりも、上の人間はとにかく事故を起こすな、安全に過ごさせろとどんどん締め付けていた。 確かに、法律よりも少し多めの職員を雇っていたし、子どもも定員より数人空けておいて、緊急で保護できるように備えていたりもした。 けどそれでも、0歳児はベビーベッドをぎゅうぎゅうに隙間なく並べた部屋でつかまり立ちもハイハイも自由にできず、 1〜2歳児は十数人が1つの部屋に集められ、庭は見えるものの外遊びは危ない

        • 乳幼児期にすごく大切な、愛着の話。

          皆さんご自身や周りの人たちは、父母、ないしは母に育てられたという人がほとんどだろう。 そして大抵のパターンだと、ほとんどの時間を母と1対1で過ごし、そこに父親が関わってくる。 慣れているはずの父親や祖父母に抱っこされていても、機嫌が悪くなると母親の抱っこを求めてグズグズと泣く。という光景は誰しも見たことがあるのではないだろうか。 これがいわゆる「愛着」というもので、母親がその子の中の1番の大きな柱のような存在になっているのだ。 もちろん父母の役割を逆転させると父親の抱

        しばらく都合で…

          離婚して働きはじめたけどやってけなくて実家に戻った話、そして看護師へ〜(ドラクエ風に

          ドラクエはⅢが名作だと思う。 というわけで実家暮らしが始まった。 息子も赤子から幼児になり、静かに遊べるようになったため以前のような居辛さもそこまでなかった。 実家に戻って思う存分働けるようになった私は、いろんな仕事を掛け持ちしていた。 前回書かなかったが、お金につられて夜の仕事をしたり、騙されて借金したり、騙されて悪いことをさせられそうになったり、騙されて売られそうになったりしたけどそこは割愛。 でも例え借金に借金を重ねてどうにもならなくなったりしても、親には絶対

          離婚して働きはじめたけどやってけなくて実家に戻った話、そして看護師へ〜(ドラクエ風に

          離婚して働きはじめた話。

          母子家庭向けの就業支援なども利用し、最低限の資格も取れ、非常勤だが大手の会社で仕事を始めた。 公営団地に住み、保育園を利用していたが、まぁ〜たびたび風邪をひいただの熱があるだの下痢だので会社に電話がかかってきて呼び出される。 時給だったので休めば収入は0。 しかも今のように子育てしながら働く人もまだあまり多くなかったので、「またですか?」と言われるようになり、病児保育を利用しはじめた。 仕事は8:30〜17:30。病児保育は9:00〜17:00。 どうやって利用しろ

          離婚して働きはじめた話。

          結婚して出産して離婚した話④

          ちなみに私が本気で「あー、これは病んだな」と感じたのはこのモラハラ期以外では今だけだ。 なのでいろいろあった割にはあまりヘコんだことがなく、うつ病にはなりにくいタイプなんだと自負している。 さて、寒い夜にモラハラ旦那に追い出され、まだ赤子の息子を抱いてついに私は実家に足を踏み入れた。 母に、今まで毎日怒鳴られて追い出されていたことを告げると「このまま帰ってきなさい」と言われた。 ③で母の嫌なところばかり散々書いたあとのフォローというわけではないが、母は人一倍正義感が強

          結婚して出産して離婚した話④

          結婚して出産して離婚した話③

          その頃、旦那から散々悪口を言われているとは知らなかった私は、なぜか母が最近冷たい、、と思いつつも何も聞けなかった。 人一倍世間体を気にする母にとっては私は恥であり、こんな娘を嫁にやってしまって申し訳ないと思っていたのだろう。 昔から母は、ちょっと気に入らないことがあっても直接言わず態度で察してよというタイプの人間だったので 私は幼い頃から、大人の顔色を伺うことが習慣になっていたように思う。 父母は私が幼稚園の頃に離婚し、県外に離れて暮らしていたが父との定期的な面会や手

          結婚して出産して離婚した話③

          結婚して出産して離婚した話②

          毎日毎日子どもと2人追い出されるようになって、寒い季節になった。 ゲーセンで暖を取っていたが、毎日赤子を抱いて階段に座っているとさすがに怪しまれるようになった。 私は人から注意されることが大の苦手で、ほんとにパニックになりそうになってしまう(なったことはない)ので、 いつもそういう時は空気を読んで怒られないよう怒られないように息を潜めて過ごしたり、笑って誤魔化したり、言い訳を必死で考えたりして逃避する。 そんな小心者なので校則だって破ったことないし、違法行為は引越し中

          結婚して出産して離婚した話②

          結婚して出産して離婚した話①

          私は比較的若い頃に結婚し離婚した。 いわゆるデキ婚というやつで、元旦那は今で言うところのモラハラ男だった。 当時はDVという言葉すらなかったから、お前はアレもできないコレもできない、ダメな奴だと言われ続けるとだんだん洗脳されるというか もともと自己肯定感が低かったのも手伝って、「ああ私は本当にダメな人間だ」と思いこむようになった。 そのころはネット環境というものもなく(パソコン通信ガーとか話題になりつつあった時代)、 今のように他の人の生活を覗き見たりすることもなか

          結婚して出産して離婚した話①