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20代後半にして、というか終わりにして気づいた。自分という資源は有限であるということ。

29歳。この歳にして、姉妹、親であっても、他人を変えることは不可能であると理解する。

捨てる、離れる、諦める

10年早く気づいていれば。20代でもっと自立して、今よりストレスも少なく生きられただろうに。

後悔先に立たず。


具体的に言うと、

少しでも上手くいかないなら、親や兄弟姉妹とは同居しないこと。

家族の失敗を自分ごとと思わないこと。

転ばぬ先の杖を与えようと奮闘しないこと。



私は18歳から姉と同居していたが常にぶつかり合いが絶えなかった。後に分かったが姉は発達障害をもっており、家事、食事、そして特にお金について、自己管理が著しく苦手な人だった。

姉妹だから心配で、救いたくて、というより今考えたら何よりも、自分が安心したくて、姉を変えようと奮闘して消耗して10年かけて私は潰れた。

後に妹とも同居したが彼女は、成人しても妹気質が抜けない人格で、感情コントロールが出来ず、新社会人になった頃には仕事での嫌な感情を私たちに八つ当たりの如くぶつけるようになった。

まるで外でいい顔をし、家では暴力を振るうDV男のようだった。


私は決めた。例え後悔しても、ここで私が助けなかったせいでこの人たちが自殺しそうになっても、もう心配はしない。

私がお節介しなくても多分生きてるし、それで死んだとしても、悲しいけれど私には何も出来ない。起きてもないことを心配するより、自分のことを可愛がろう。

どこかで読んだこと。人間の「意思」には限界量がある。判断量のキャパを超えると人間は限界がくるのだ。私の場合は貴重なキャパを他人のために使いすぎた。


体は正直だ。そして進むべき道を教えてくれる。

キャパオーバーの弊害は目に見える形で現れた。例えば、家計の計算や携帯の解約に何ヶ月も取り掛かれなかったりという小さな(小さくもないか)ことから、仕事とプライベートの板挟みになったときに身動き取れなくなって休日寝たきりになったり。

目に見えない脳みその中で起きてることが、首から下の体にまで影響を及ぼすなんて。理屈では分かっていても、実際に経験するまで理解できなかった。



退職を少し先に控えている今、次のことを考えるキャパすら残ってないのだ。


書くの疲れた。では今日はここまで。



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