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不登校から高校進学へ(中学卒業〜高校卒業)

こんばんは!
日付でいうと同じ日に投稿となります。
ななみんです🌻

本日は前回の投稿続いて、卒業後から高校3年生までのお話をしたいと思います。

↑前回の投稿

ではではお話していこうと思います…

【不登校から高校進学へ】

中学3年生の10月11月頃に「声優」になりたいと思い、声優について学べる通信制の高校に進学することを決めました。

私の通っていた高校は通信制の全日制という、毎日朝から夕方まで6時間授業がある高校でした。
6時間授業の一部に専門の授業が学べるという内容だったため、一般教科もしっかり学んでいました。

私は中学卒業式で感じた、悔しいという気持ちをバネに、高校では後悔のしない過ごし方をしようと心に決めていました。

高校入学
中学校を卒業した翌月の4月。新たな制服を着用し、高校へ向かいました。
前回の投稿でも話しましたが、この高校にはプレ登校という、事前登校(高校入学までにお試し登校をしてみようというシステム)があったため、入学式の日にはすでに友達ができていました。
この高校は不登校経験者や悩みを抱えている中学生が多かったため、居心地はとてもよかったです。

高校1年生
少人数制の高校だったためクラスは学年で2クラスだったため、学年で仲がいいやクラス全体で仲がよかったです。
私はこの高校に来て自分を変えたいと思っていました。そんな私にピッタリな行事が入学して早々にありました。
それは、1年生だけの宿泊行事があったのです。
そこで実行委員を募ることになり、私は友達と共にやる!とすぐに手を挙げ立候補しました。
無事実行委員に入ることができ、先生方と協力しながら事前準備をしていました。
この時間がとても楽しく、中学時代の私はしていない経験だったため、満足感がありました。
宿泊行事当日も実行委員での仕事があったり、準備があったりと、みんなのために行動が出来ていると感じたことから、あぁ、私はこういうことがしたかったんだ。これからもっと積極的に取り組もう!と決意しました。

その後も学校行事の実行委員には全て参加し、その度にやりがいを感じ、もっとやりたい!と思っていました。
そんな時私にまた悔しい思いをする出来事が起こりました。

入学してからは、休むことがあまりありませんでしたが、休みが入ると週明け行きたくない…しんどいな…となることが多く、休むことがまちまちありました。

そんな中飛び込んできたのが「生徒会」の話でした。
1つ上の学年で生徒会立候補者が少なかったため、1年生からも立候補者を出そうと先生から話がありました。
しかしこの話は、限られた生徒のみにされたのです。
私は生徒会に立候補するにあたっての条件があり、その中の出席日数に引っかかっていたため、その場にいませんでした。
この話に呼ばれた生徒の中には、私の仲のいい友達が多くいました。
そこで、まただ…また同じ悔しい思いをしている。そう感じました。

何人か友達が生徒会に立候補し、選挙を終え、当選…とても喜ばしいことです。
しかし、終礼後に一緒に帰ろうと思っていても「今日生徒会の会議あるから先帰っててー!」など、友人と私の間で一線ができたと感じました。
とても悔しく、また、生徒会の会議であった出来事をしんどい…と言いながらも楽しそうに話している友人を見て劣等感を感じていました。
自分が休んでいる間、この子たちは学校に来ていた。だから生徒会に入れた。私は何をしていたんだと。
しかし、ここで私は諦めませんでした。
中学生の頃の私とは違う。私は、来年生徒会に立候補しようと、そう決意しました。その後は各種実行委員、クラス委員などに積極的に入り、高校1年生は活動していました。

高校2年生
進級し、出席日数がリセットされました。
入学して1年間は実行委員やクラス委員になり、積極的に活動してきた。人前に立つことが楽しいと感じていました。
そして何よりも「生徒会に入る」という夢がありました。
そこで、生徒会に入るにしてもどの役職に立候補しようか考えました。
悩まずとも答えは一つでした。
生徒会長に立候補する。
この一択でした。
私が1年生の頃、生徒会長は2年生の1つ上の先輩でした。その先輩はみんなから○○先輩!会長!と呼ばれており、とても人気のある親しみやすい先輩でした。
(私も実行委員などでは生徒会は必ず参加しているため、会長との関わりもありました。)
私は1年生の頃から変わらず会長に対して思っていたのが「会長が羨ましい」でした。
後輩(同じ生徒会の私と同級生の人たち)にも人気で、みんなの中心にいるような会長が羨ましく、それと同時に負けたくないという思いがでてきました。
私もこの人のように誰かのために何かできるような人になりたい。
そこで私は生徒会長に立候補しました。

結果は当選。
高校1年生の1年間で頑張った結果や、先輩・同級生・後輩・先生方からの信頼もあり、高校2年生の6月生徒会長となりました。

嬉しい反面、課題も多々ありました。
私の代は私を含め17人の役員がおり、その中の代表という不安もありました。
しかし1年間、実行委員などで経験したことや養ってきた力を発揮する時だと、一生懸命取り組みました。

今振り返れば、とても騒がしいメンバーだったのですが、生徒会の会議がある日が楽しみで、充実していた日々だと感じています。

生徒会役員として実行委員に参加したり、クラスの委員長も務めたりと、高校2年生は後悔のしていない1年間を過ごせました。

高校3年生
いよいよ卒業の年です。
生徒会張としているのは高校3年生の6月、次期生徒会が決まるまででした。
それと同時に進路のことも考えなくてはなりません。
私は「声優」になるという目標は高校3年生の4月の時点では変わっておらず、何となくですが、専門学校に行きたいと考えていました。

そんな時、ある教科が大好きになりました。
それは「日本史」です。
幼い頃、あるテレビに映った城を見て、私は城に行きたいと父に言いました。
父は歴史が好きだったため、幼い頃から数多くの城に連れて行ってくれました。
小学生の時には自らここに行ってみたい!と提案するなど、城巡りが大好きでした。
しかし、歴史というものは詳しくわかっておらず、城は好きだが歴史に詳しい、好きというわけではありませんでした。
むしろ苦手という意識がありました(笑)

3年生の頃、専門授業の中に「受験日本史」と「受験世界史」がありました。
私は迷わず日本史を選びました。
世界史はカタカナを覚えるのが苦手だったためやめました^^;
その授業で、私は日本史の面白さに気付きました。
昔ってこんな出来事があったんだ…今の私たちのこの暮らしはここから繋がっているのか…と過去を知ることが楽しいと感じたのです。
この日本史との出会いが、私の夢を変えることになりました。

生徒会役員としても残り数ヶ月の夏休み手前、前期試験がありました。
私は直前にならないと焦らないタイプでしたが、3年生ともなると受験も控えてるため、テスト勉強を早めにしなきゃな…と思っていました。
そんな時クラスメイトが「あー、勉強せなな〜」と言いました。
その時私は「みんなでテスト勉強せん?」と言いました。
みんなですればやる気もでるし、わからないところは教え合おう!ということで、放課後何人かでテスト勉強をすることになりました。

テスト勉強が始まり、各々苦手科目を復習していました。
そんな時ある人が「数学のここわからんのよな〜」と言い、その単元は私が得意なところだったため、その人や他の子にも説明していると「ななみんのわかりやすい!めっちゃ助かった、ありがとう!」と言われたのです。
この時私はとても嬉しく、誰かの役に立てた…と幸福感に満ちていました。

それからです。
私は「声優」という職業ではなく「教師」になりたいと思ったのです。

そして夏休み手前、試験も終わり、次期生徒会も決まり、私の役目は終わりました。

私が教師になりたいと思ったのには、友人に教えて感謝された嬉しさもありますが、1番の考えはまた別にありました。
それは、自身が不登校経験者であったが、高校を見つけ進学を決め、その高校で多くの人に救われ、また何より、高校の先生方に救われたという思いが強く、私も不登校や悩みのある学生に
「学校っていうのは勉強だけが全てではない。学校行事をしたり友達と遊んだり、様々なことを学べるのが学校という組織だよ」
と、そう伝えたいと思い、それが出来るのは教師だと思い、教師になりたいと思いました。

しかし、正直なところ勉強は嫌い。
でも教師になるためには勉強をしなくてはいけない。
専門学校しか考えていなかったため、大学がよくわからない。
いろんな思いがありました。

そこで考えたのが、歴史はもっと学びたい!歴史を学べて教員免許を取れるところに行きたい!と。
そして、その考えを先生方に相談し、いくつかの大学に出会いました。
夏休み期間はオープンキャンパスに行き、説明を聞き、私はある大学に行きたいと決めました。

そこで先生方に相談すると、私の希望大学は指定校推薦があり、私は生徒会長も務めていたため、ポイントが高く、使うのいいよ!と言われました。

根本的には勉強が嫌いな私は二つ返事でそうします!と答えました(笑)
そこから指定校推薦を使用し、大学受験が始まりました。

結果は無事合格しました。
3年生の11月頃には合格通知が来ていたような気がします。
生徒会も終わり、残す学校行事も卒業式のみとなっていた頃です。

そして卒業式を迎え、私は無事、高校を卒業しました。
卒業式では終始泣いており、中学校の卒業式と真反対な心境に驚きました(笑)
それだけ思い出深い3年間でした。

今でも思うのは、私の高校3年間は後悔はありませんでした。
1年生の頃、生徒会に立候補できませんでしたが、その悔しさをバネに2年生の頃、有言実行できました。
やりたかったことも生徒会の時に全てやらせていただき、充実しかない高校生活でした。

中学3年間の経験があったからこそ、高校生活は同じことを繰り返さないようにしようと、意識が強かったです。
私は変わった…というよりは、小学生の頃の自分に戻れたなという印象です。

進学や就活の際、どこにしようか迷いますが、私は「自分がここなら最後まで無理せず行ける」ところを探してみてほしいです。
私も元は調理の学べる高校を探していましたが、その高校に行っていたら学習面でついていけず、同じことの繰り返しになっていたと思います。
しかし、自分がここならいけると、この高校に決めたため、無理せず3年間通えました。
いろんな思いや考えがあると思いますが、何より大切なのは自分の気持ちです。
あなたの気持ちを大切にしてほしいなと思います。

本日も長くなりましたが、中学卒業〜高校卒業までのお話はここまでとさせていただきます。
ここまで読んでくださったあなた、ありがとうございます😊

また、私は現在、自身でNPOを立ち上げようと目標があります。
目的は、不登校や悩みのある学生(下は幼稚園保育園児から上は大学生)の居場所づくりをしたいからです。
自身の体験をもとに「家」「学校」以外の「第三の居場所」を作りたいと考えています。
【あなたの居場所はここにもある、あなたの世界はこんなにも広いんだよ】
ということを伝えれるように準備中です。
現在お悩みの学生や親御さん、誰かに話してみたい…というかたに、一経験者として、お話ができればと思いLINE@を開設しました✨

↑こちらに私がいますので、第三者の誰かにお話ししたいなどあれば、お気軽にご利用ください!

ではでは、また次回お会いできるのを楽しみにしております👋🏻

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